この記事は【母】が書いております
あなたはお子さんが不登校になって、どのようなことをしてきたでしょうか?
私は息子が不登校になってからというもの、状況をどうにかしたくて、いろんな書籍を読んできたなあと思い返しています。
松下幸之助さんやデールカーネギーなど自己啓発系でも古典的なものや、仏教系、神道系などの思想哲学的なもの、ビジネス系のもの、Amazonで出てくるおすすめで気になったものは、結構購入していましたね。
不登校だと教育的な分野に焦点を合わせがちになりますけど、こうして書いてみるといろんなジャンルに手を出していると気付かされます(笑)
私はきっと、不登校云々よりもその先にある、
「人生とは?」
「生き方とは?」
ということを考えたかったのだと思います。
この問いにどれだけの時間を費やしてきたんでしょう(汗)
息子の不登校を解決したい気持ちもありましたが、次第に、
息子が不登校でもそれを受け入れられる自分になりたい、
息子が不登校でも人として息子を発展させることができる自分になりたい、
そんな器の大きい生き方に憧れたのだと思います。
以前のブログでも言っていることですが、
「不登校の解決方法は、親が成長すること」
です。
この考えは今も変わりません。
でもですね、
そう頭では理解しても長年の考えからの解放はなかなか難しく、多くの方はここで葛藤し苦しんでいます。
私も自分の固定観念から出るのに相当時間がかかりましたし、いまだに残っているところもあります。
でも、以前と比べたら、かなり柔軟に捉えることができるようになったとは思っています。
書きながら振り返りたいと思います。
心に強く残っている記憶は苦しさとセット。
私が息子を出産してから思い出すこと、それは、実は当時の辛さとセットとなっていることがほとんどで、楽しかったという思い出は割と忘れているということです(笑)
辛いから嫌な思い出ではないですよ。
辛さの中で支えてくれた人の笑顔を思い出したり、
思いやりを持って接してくれた方を思い出しては心が温かくなったり、
嬉しい思い出の方が多いのです。
単純に嬉しかった!という記憶は、本当に思い出せないくらい少ないです。
こうして考えると心に残る記憶とは苦しさとセットであって、苦しかった記憶、感情をぶつけた記憶、そして、それを乗り越えてきた記憶がより心に残るんですね。
私にとってはそれが「喘息」と「不登校」でした。
息子は生後1才から喘息になり、何度も発作を起こしては入院し、夜間救急に駆け込んだことも数知れず。
毎日がハラハラで生きた心地もしないような日々でした。
息子の手の甲には当時の点滴の針のあとが今でも無数に残っていて、それを見ると、よく頑張ったよね・・と、幼い息子の姿が瞬時に蘇ります。
そして「不登校」ですね(苦笑)
喘息と不登校、どっちが辛かったかと言えば断然「不登校」なのですが、苦しければ苦しいほど自分自身は磨かれていったように思えます。
辛いけど逃げずに向き合った記憶は決して嫌な記憶ではなく、後々自分の深い記憶として真っ先に蘇ってくる記憶です。
「あの時、頑張ったよな。。。」
「頑張った結果、今こうして息子がいるんだよな。。。」
「良い経験をしたな」って。
こうした境地にたどり着くために困難問題が現れると思えれば、こらからも頑張れる気がします。
闇から出るための費やした学習の中にはお金も時間も無駄にしてしまったものもたくさんありますが(笑)、これもね、見極める能力が身についたと思えば学習代ですね(笑)
生き方的な教えとなると宗教的な側面が帯びてくるので危険性もあるとは思うのですが、今日に至るまでに残されている古典的なものは役に立つことも多かったです。
今日まで引き継がれているものには、生き方、考え方を変える指南書的なものも多いので、古典系はおすすめです。
闇の中でもがいている時こそ、新たな価値観を受け入れるチャンス
上記では、もがいた記憶が強く残るもの、とお伝えしました。
ですから、ここでどう向き合うかで残る記憶が分かれるとも言えます。
- あの時本気で向き合って今があるんだな・・と思うのか
- あの時もっと〇〇すればよかった・・と後悔するのか
あなたがどういう選択をするかです。
人任せにして良くなればいいという方もいらしゃるかもしれませんが、それで納得できるのならその方にとってはそれが後悔のない人生。
ただ、私は逃げれば後悔するというのはわかっていましたし、とにかく乗り越えたい気持ちが強かった。
負けず嫌いと言えばそれまでです。
ですから、あなたにもここでご自身に聞いてみていただきたいです。
- 今の困難にとことん向き合ってみる?
- 主体性を放棄して、子供が変わるのをただ待ってみる?
あなたにとって、どちらが後悔しない生き方になりますか?
困難に立ち向かうのはキツイことですが、乗り越えた先の自分の成長のことを思えばチャンスともいうことができます。
乗り越えるために私がしたことは何かと考えてみたのですが、違う価値観を受け入れてみたということではないでしょうか?
「この人の話は心が軽くなるな」
「この人の言うことなら聞けそうだな」
という人の価値観ですね。
ただ誰が言っているかが大切です。
偉いと言われる人が良いことを言っていても、あなたが「なんか違う・・」と思ったらそれはきっと違う。
心の温かい人を選んでください。
息子のように、尊敬できる「師」と思える人がいれば一番良いですね。
その方のそばに居て、考え方を浴びるように吸収できれば変化は早いし、引きあげてもらえるならなおのこと望ましいです。
大事なのは、自分がいいなと思える方の生き方や考え方を吸収すること、私はそう思います。
考えてみてください。
今までのあなたの価値観というのは、その考え方を繰り返ししてきたから形成されているんですよね。
だったら、あなたとは違う方の考え方や価値観をインストールして、何度も何度も体や細胞になじませて、新しい考え方や価値観を自分のものにしていけばいい。
同じ価値観、今まで固定化された考えで解決しようとするから、同じところでぐるぐるしてしまうのです。
考え方は習慣の積み重ねですから、新しい考え方を何度もインストールすれば身につきます。
そうするとどのようなことが起きるかというと、どちらが正しい!というのがなくなるんですよ。
前の価値観も肯定できる、新しい価値観も肯定できる、どちらもありだよね!
と、偏見のない視点が生まれてくるのです。
まとめると、
もがいてそれを乗り越えようとするときは、
- あなたが心が温かくなるなと思える方の生き方や考え方に今まで以上に触れること
- その方となるべく会ったり、音声で聴いたり、本で読んだりをひたすら繰り返すこと
が良いのかなと思います。
そうすることで、偏見や思い込みで観ることが少なくなるような気がします。
楽しかったことより、辛さを乗り越えてある今の方が記憶に残る事実!
こうやって考えてみると、人生って困難の連続だと思いませんか?(笑)
あなたが記憶に残っていることってどんなことでしょうか?
楽しいことが多いでしょうか?
それとも、私と同じように辛かったけど、ジーンと心に残るようなものが多いでしょうか?
これからも困難に直面することは、お互いまだまだあるでしょう(苦笑)
でも、私は、
- この問題も◯◯を学べてよかったなと思う何かがあるんだろうな
- 心に深く残る思い出がまたひとつ増えるんだな
と思って向き合うようにしています。
年を取るごとに思い出される記憶は、苦しかった、だけど頑張った記憶です。
そう思えたら少し勇気が湧いてきます。
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