この記事は【母】が書いております
前回の【前編】に続き、今回は【後編】をお届けしたいと思います。
まずは、簡単に前回の内容から紹介しますね。
息子の不登校に葛藤し、なんとかして行かせようともがいていた不登校初期から始まり、それから私は徐々に学校に行かない息子を心から100%応援できるようになってきました。
その間、私はどのような感情の段階を経てここまで至ったのか?
そんなことが気になり、書いて見たのが今回の記事になります。
振り返りからわかったのは、不登校にもがいていた初期〜息子を全面的に心から応援できるようになるまでに4段階あった、ということです。
これはあくまで私の経験上のもので、全ての方に当てはまるものではないし、あなたとも異なる可能性が高いです。
前回は、【第1段階】と【第2段階】まで紹介しましたね。
今回は【第3段階】と【第4段階】について書いていきますが、【前編】の記事を読んでいなくても大丈夫です。
【第1段階】と【第2段階】も簡単に説明してから本題に入りますので。
では、早速内容に入っていきましょう。
【前編】治らない不登校〜私の【第1段階】【第2段階】のまとめ
【第1段階】
結論から言うと、
最初の【第1段階】でどのように対処するか、そして、この【第1段階】にいる期間をいかに短くできるかが肝と私は思っている、ということをお伝えしました。
この【第1段階】はとにかく苦しい時期です。
子供の不登校が始まり、親はなんとかして行かせようと頑張りますね。
ただ、親も初めての経験ですし、どのような対象方法が適切かなどわかりようもありません。
私に限らず多くの方が、肝心の子供の気持ちよりも、親である自分の気持ちを安定させたいがために行動してしまっています。
これは経験をした方ならわかることなのですが、ほとんどが無自覚でなされているんですね。
私はこれは防御的な本能みたいなものとも思っているので、ご自身を責める必要は一切ないとも思っています。
ですから、このあたりは自分を責めず、気づくことが大きな進歩であると考えます。
この時期は、子供を登校させるために担任の先生との相談やカウンセリングなどを受けてなんとかしようとするのですが、全くうまく行かない・・・
母親も精神的に追い詰められて、自分でも気づかないくらいにエネルギーを消耗し、場合によっては体調不良も起こすこともあります。
また、考えすぎて頭がごちゃごちゃになり、思考も狭くなりがちで余裕がない状態です。
簡単に言うと、母親はいっぱいいっぱいというのがこの【第1段階】です。
本来なら、ここで一旦休んで、母親がエネルギーを貯めるのが良いということをお伝えしました。
第2段階
多少諦めに似た気持ちもありますが、母親に少しずつ心の余裕が生まれて、子供の気持ちに心を寄せられるようになるのが【第2段階】です。
母親のエネルギーも【第1段階】よりも高まっています。
とは言っても、登校して欲しい気持ちが消えることはありません(苦笑)
ただ、心に余裕が生まれたことで、不登校を受け入れて、
不登校でもできることはないか?
学校に行かずとも将来仕事していくにはどうしたらいいのか?
ということを考え始めることもできてきます。
【第1段階】は矢印が自分に向いている状態。
【第2段階】は矢印が子供に向く状態。
子供が学校に復学できなかった時のことを考えて、将来どのように生きていくのかという道を考える余裕も生まれてくるんですね。
つまり、復学できれば従来の高校→大学→就職というルートも選択できるし、復学できなかった場合にはあらかじめ考えておいた選択肢を試すという、2つの選択肢を用意できるようになります。
学校に行っていないから就職できない、というネガティブな考えではなく、発展的、積極的な考えにシフトしてくるのがこの時期。
母親の心にゆとりが生まれることで、お子さんの学校に行けない苦しみを理解はできなくとも感じることができるようになるし、子供の性格や個性にあった将来を一緒に探す余裕も出てきます。
学校に行かない子供を見守りながら、でも、登校してくれたら嬉しいな!
というのがこの【第2段階】ですね。
それから、もう一つ。
お子さんをどういう目で見るか?ということも大切ということもお伝えしました。
学校に行っていないからこの子は不利と見てしまうのか、学校に行っっていなくてもこの子なら大丈夫と思って見るのか、母親にどんな目で見られるかが子供の将来を決める、とも私は思うようになったのです。
この【第2段階】の時期には気付けていませんでしたが、今現在はそう思っています。
【第3段階】学校教育に関する疑問が湧き上がってくる段階
ざっと、【第1段階】と【第2段階】について振り返りましたが、なんとなくは伝わったでしょうか?
さて、ここから今回の内容ですね。
【第2段階】でかなり頭は柔軟になってきていると思います。
柔軟性が伴ってくると、ここからは人の数だけ考えが出てくるだろうし、向かう方向性も様々かなぁとも思いますね。
ただ一つ同じものがあるとすれば、お子さんを信じ、応援するようになっている!ということではないでしょうか?
子供の選択が親の希望と異なっても応援するから!
あなたなら大丈夫!!
こうした気持ちですね。
あなたはどうでしょうか?似たようなところがあるでしょうか?
さて、この【第3段階】で私に起こった大きなことをお伝えしたいです。
それは学校に対する考え方の変化です。
もっとはっきり言いますね。
私の中で、学校教育への疑問が大きくなりました。
「今の学校教育は、子供を成長させることになっているのだろうか???」
という疑問です。
このような疑問に至るまでの流れを振り返ってみると、私と息子とのコミュニケーションが少しずつ進むことで見えてきたように思います。
例えば
- 決まった授業、決まった時間割に従うのが苦痛
- みんなと同じことをするのが嫌
- 授業が受け身でつまらない
- 自分の疑問に答えてくれる先生がいない
など、息子はこのような不満を抱えていました。
不登校初期の私からすれば、これは息子のわがままにしか映りません(苦笑)
学校教育を否定する気持ちはありませんでした。
ただ、息子の心に寄り添って、息子がどのように感じているのかを知ろうとすればするほどに、「学校教育が問題かもしれない」という思いも出てきたのです。
今の学校教育に従っていると、上記のことは、
- 時間に拘束されるのが常識(中には苦手な人もいる)
- 協調性を保つために我慢する(たとえ本心では嫌でも我慢することが普通になる)
- 自分で考えて行動できなくなる(与えられたことをしてればいいという考えになる)
- わからないことを追究する機会を逸する(成長できない)
となるのではないか?
果たしてそれが望ましいと言えるのか?
という疑問ですね。
大抵の物事は、良い面と悪い面がセットになっていますよね?
学校教育だって例外ではないんですよね。
ですが、学校というのはまだまだ絶対的な存在なところがあり、たとえ悪い面が見えていたとしても「それがルールだから」と、世間的な常識を優先させてしまう方が多いのではないでしょうか?
【第1段階】の私は、刷り込まれた学校教育に対する洗脳めいたものが解除されず、学校を絶対化しており、学校教育を疑うという視点は一切なかったのです。
では、なぜ私の中で変換が起きたのでしょうか?
それは、自分ではなく息子に見ることをしたからだと思います。
息子に関心を寄せたことで息子の心の痛みがわかるようになり、その原因を私なりに追究したからだと思います。
息子の痛みを感じ、思いを受け入れているうちに、新たな考えが流れ込み、私の中で【崩壊】が起きた・・・
このような感じでしょうか?
私は学校教育が正しいと思って生きてきましたが、息子はその正しさが辛かった、苦しかったのです。
子供の数だけ個性があるのですから、学校教育に相性が合う子もいれば、残念ながら相性が合わない子もいても不思議ではありません。
全ての子を学校教育のシステムに乗せることには無理もあるのです。
義務教育だからといって、我慢し続けて頑張ることが子供のためになるのだろうか?
我慢して通うことが幸せにつながるのだろうか?
このように思えた時、私は幸せどころか苦しく不幸になると思いました。
なぜなら、我慢を続けると人間はいつか壊れるからです。
不登校の子供が増加しているにも関わらず、昔とは大きくは変わっていない学校教育です。
私の中では、学校教育も限界かな、転換期にきている・・と思うところがありましたし、このような視点が入ると一気に世界が違った様相で見えてくるんですね。
本当に、一気に視界が広がるのです。
この「脱・洗脳」的な出来事には、私自身が本当に驚きました。
これも不登校という経験を通しての学びです。
人生を通して学ぶことってたくさんあると思いませんか?
学校教育は、人生の中で学ぶ学習の一つにしかすぎません。
人生の中ではもっと大切な学びも実際あるわけで、不登校を経験するというのも、そして、不登校の親を経験するというのも貴重な学びなんですよ。
ですから、お子さんのことを人生レベルで捉えてみれば、学校以外でも学ぶことはたくさんあると思えてくると思うのです。
子供達には、学校の中だけではなく、他からもたくさんのことを学んでいただきたいです。
私の理想像を話せば、不登校であっても子供を成長へと導いていく教育の【場】があればいいなぁとは思いますね。
教育は学校という【場】だけではありませんから、教育機関という範疇にとらわれず、大人との会話から歴史や倫理、数学など、学ぶ必要性があるということを子供自身が見つけていける環境があったら良いですよね。
今の教育はまだ、学校という【場】でなされ、学校にいけなければフリースクールという学校の風味が強い【場】を勧められたりします。
学ぶところが【場】に特定されると、やはり不登校の子供にとってはキツイですし、私の息子は無理でした・・・
息子はカテキョーくん話しながら、勉強する楽しさを引き出してもらったので、不登校の子供達のためのそうした【場】というのがあったらいいなとは強く思っています。
会話の中から人生の方向性が見えてくることもあるので。
でも、このような【場】に出会えることは難しいと思うので、まずは、
- 自分ではなく、お子さんに心を向けること
- たくさんお子さんと話をすること
- お子さんがどんなことに興味を持っているのかを引き出すこと
をしてみるのが良いと思います。
これなら自宅でできます。
子供に限らず私達も、まだまだ眠っていて目覚めていない何かがあると私は思っていて、もしかしたら、あなたにこそ驚く何かが生まれるかもしれませんよ。
私の【第3段階】は、このような感じで学校への認識が大きく変わりました。
その子、その子に合わせて学習する環境を整えることも必要ということを学びましたね。
【第4段階】全ての人を尊重して接するようになる段階
そして最後の【第4段階】です。
ここは私の現段階とも言えると思います。
子供が不登校になったことで、今までの価値観といったものがすっかり崩壊し(笑)、子供だけではなく他の方と接する時も、自分の決めつけで人を見たり、自分の考えを押し付けたり、ということはなくなりました。
とは言っても、
「何でこの人はこんな態度を取るんだろう???」
と思う強者はまだまだいますし、イラッとしたりすることもありますよ。
ただ、そういう行動を取る背景には、その人にそうさせる何かが過去にあったのだろうと思えるようにもなったし、それがトラウマになっているかもしれないと想像する余裕も生まれました。
その点は以前より成長したのかなと自分でも思っています。
きっとこうした経験を通して、私も一生学んでいくのでしょうね。
それと、もう一点あります。
それは、こうして自分の経験を包み隠さず発信できるようになったということですね。
以前は誰にも知られたくなかった不登校ですが、今では恥ずかしいとも思わないし、人から変な目で見られても気になりません。
不登校を暴露できるのも、不登校を経験したからこその今があるからです。
不登校が息子への接し方を変えさせてくれました。
友人、知人への接し方も変えさせてくれました。
あらゆる難題に対しても向き合う姿勢を与えてくれました。
人を成長させる教育とはどういうものか?ということを考えるきっかけを与えてくれました。
私と同じ不登校に悩むあなたに、お役に立つ記事を届けたいと思わせてくれました。
不登校に悩んでいるお母さん方に、乗り越えてお子さんに光を与える素敵な母になって欲しいと願わせてくれました。
このような気持ちでいるのが現在の私であり【第4段階】です。
最後に!
2回に渡り私が経てきた段階をお伝えしましたが、まだまだ伝えきれない、まとめきれない部分も多いですね。
もし、一つでもヒントとなることがあったなら嬉しいです。
長い文章にお付き合いくださり、ありがとうございました!!
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