不登校に対処した経験は、他の問題解決にも大いに役に立つ

不登校 母親として思うこと
母

この記事は【母】が書いています

今回はつぶやき的な感覚で思うことを書いてみようと思います。

私の感覚的には、以前の「大丈夫!不登校ブログ」を書くような気持ちと同じですね。

軽く読み流すつもりで、リラックスして読んでいただけたらと思います。

 

今の私は息子が大学生になったこともあり、いわゆる不登校問題からは解放された立場にいると自分では思っているんですね。

「将来息子がどうなるか?」

と考え出してしまうと負のループに陥ってしまいそうな私がいるので、学生とはいえ成人したことですし、あとは本人が自分で考え、決断する問題、息子を信じる!と気持ちを切り替えています。

つまり、益々、放牧傾向が強くなっているということでもあります(笑)

では、今回は私が今考えている時間が多いテーマについて書いていきますね。

 

不登校の問題への対処が落ち着いた後に、今の私に降りかかっている問題とは?

さて、不登校問題が終了した後に私が考える時間が多いことって、何だと思います???

 

 

はい、答えは「介護問題」です。

もしかしたら、今読んでくださっている方の中にも、不登校と同時進行で向き合っている方もいらっしゃるかもしれませんね。

 

ちょっと私自身のことを話せば、私の両親は介護を待つことなく、病気で他界をしております。

なので、私は看病の経験はあっても実際の介護の経験はないんですね。

(主人の両親は健在ですが、主人の意志のもとサポートをする意識でいるので、消極的参加と言えます)

このような状況なので、

「これから介護のことを考えることはそうそうないだろう。」

と思っていたところがありました。

 

ところが人生のシナリオは、そう思い通りには行かないようで・・・(汗)

 

私が直接介護に関わっているわけではないのですが、親戚の高齢化も進んでいるというのがあります。

認知が進んでいる、施設を探している・・・という話が多く入ってくるようになり、私自身、施設のことを調べたり、入居費用がいくらかかるのかを調べたり、認知症の症状、対応を心得るために情報を探したり、時には息子の講義の教科書を借りて読んでみたりする時間が増えてきているんですよね。

そんなこんなで、なまじ介護についても詳しくなりつつありますよ。

(自分の老後のこともあるので、我が事のように感じるところもあります。)

 

 

そして、思ったことがあります。

それは、もしかしたら、心理的には「不登校」に対処するよりも「介護」に向き合う方が精神的にはキツイかもしれないということ。

自分の親の認知の症状がひどくなっていったり、今までできていたことができなくなって行く姿を見るのは、堪え難いし、辛いし、涙が出てくることもありますよね?

認知症の親戚の姿を見ただけでも私は相当心にきましたから、これが親だったら・・・と思うと言葉が出てこなくなります。

肉親に対してどのような感情が湧き上がってくるのかは想像しかできない私ですが、親の介護や認知症に向き合っている友人の心を思うと、そんな気持ちになります。

 

でも、目を背けたところで改善はしないのが「介護」でもあって、不安、恐怖とも向き合わないといけないんですよね。

これは「不登校」であっても「介護」であっても、「向き合う」という点では同じです。

では、不登校の経験を活かした向き合い方とはどのようなものなのでしょうか?

そのことに触れていきたいと思います。

 

不登校の経験が介護の向き合い方に活きた私のケースの紹介

 

 

不登校であっても介護であっても、私が思う大切なことは、いかに相手の心に寄り添い、相手の望む方向に合わせる努力をできるかということです。

もちろん不登校と同じで、介護の場合も自分のこうしたらいいと思う、というエゴが通じないケースもあります(合わないことがほとんどかもしれませんね)。

でも、自分の意見が正しいと一方的に押し付けるのはNGです(私の考えではね)。

自分の意見は持ちつつ、お互いが納得できる着地点を探していくと言えば、わかりやすいでしょうか?

相手の意見を押し付けて相手を言いくるめるのでもない。

相手の意見を丸ごと受け入れるのでもない。

相手が望むことをベースにはするけれど、自分が協力できるラインを明確にしておくようにすることです。

私自身の注意ポイントは、我慢し過ぎるまではやらないということですね。

自分さえ我慢しさえすれば・・・という気持ちが以前の私はあって、勉強したことがあったのでね。

そのような方法を取ってしまうと、自分の方がまいってしまうケースがほとんどです。

実際、そのようなケースを何度も見てきましたし、これは私の教訓みたいなものになっています。

 

相手とはしっかりと向き合う、でも、決して自分を犠牲にはしない、ということですね。

 

相手としっかり向き合う気持ちでいれば、心を通わせることができるし、そのことで相手との一体化が生まれます。

温かみも生まれてくると私は思っているんですね。

そして、お互い納得して先を見据えているので、お互いの心も軽いのです。

 

 

私は息子の不登校での経験で、息子の気持ちに寄り添って、息子の将来を一緒に考えるようになり、息子が目指したい方向を私も一緒に見るようになって、親子関係が良くなったと思っています。

付き合い方、向き合い方は介護も同じではないのかぁと考えています。

相手がどんな風に思っているのか感じてみれば、不安なんだろうなぁ、怖いんだろうなぁ、寂しんだろうなぁ、という気持ちがわかってきます。

「どんな環境なら、楽しく毎日を過ごせるのかな?」

ということも考えます。

不安を抱える相手にとって、少しでも幸せと感じる方法を考えたいと思うものです。

 

ただ、繰り返しますが、自分が壊れてしまうくらいに頑張りすぎるのはダメですね。

自分を大事にし、自分自身が良い状態でいることがまずは第一なんですよ。

このバランス調整は私は不登校で訓練させられましたので、「このまま続けたらヤバイ!」というリミットはわかるようにはなったと思っていますよ。

良い状態の自分があってこそ、相手を見る余裕も生まれますし、相手を感じることもできるので、自分自身のケアは大切ということです。

 

結局のところ・・・

結局、不登校も介護も「人間関係」の問題というところなのですが、不登校を経験した方はこの「人間関係」に柔軟に向き合えるようになると私は今感じているんですね。

いつか必ず「点」と「点」と繋がって、あらゆる場面で応用できるのが不登校の経験です。

その一つが今回の「介護」というわけですね。

絶対あなたにとってプラスの経験となりますから、今を頑張って乗り切って欲しいというのが私の思いです。

 

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