この記事は【母】が書いています
一人旅が20数年振りとは前回の記事でお伝えしましたが、飛行機になるも同じく20数年振りで、まるで初めて飛行機に乗るような心境でした。
耳鳴りが出たり、高いところが苦手だし、正直いうと飛行機は苦手・・・
今では搭乗手続きもスマホでできるようですし、便利になったなぁと思うのと同時に「私はちゃんとできるのだろうか?」という不安も襲ってくるものです。
「だったら、誰かと一緒に行けばいいじゃん!」
なんですけど、
私の性格の癖の一つに、人と一緒に行動するのが苦手・・・というのがあります。
今回は自由に動きたい気持ちを優先しました。
一人だと全てが自己責任なので、周りに気を遣ったり、迷惑をかけることもありませんが、楽しみを共有できない寂しさはありますね。
ですから、旅行はケースバイケースがいいのかな?
一人旅も仲間との旅も良い面も悪い面あるので、その点を理解しておけばどちらも楽しめると思います。
一人旅の良い点は、
- 自分が主体的にならざるを得ないということ
- わからないことは積極的に聞くことで、地元の方といろいろ話をできること
- 気兼ねなく行動できること
でしょうか?
自己成長も感じさせてくれると思います。
自宅を出てから熊本のホテルの着くまでは、家族のこと、無事に目的に到着できるかどうかの不安が強かったのですが、その辺のことを今回は書いていきましょう。
「知らないことを知っているか?」を体験させられる
スマホでの搭乗手続きにドキドキ
飛行機に乗るのは20数年振りでも、過去には何度も仕事で乗っていた時期もあったので、ここでの不安は手続き関連のみだったんですよね。
- スマホでどうやってチェックインするのか?
- 保安検査場でスマホはどう使うのか?
私がしたことは、とにかく他の方を観察することでした(笑)
ただ、これはもしかしたら私だけではなく、あるあるの方もいらっしゃるかと思うんですが、不安を感じて緊張している時に、その気持ちがスマホに感染して作動しない・・・ということ、ありません??
案の定、保安検査場でそれが発動しかかりました。
でも、係員の方にお願いしてクリア(汗)
「ほっ」です。
「知らないことを知っている」ことを再認識させる出来事とは?
仙台から熊本へは直行便は残念ながらないんですね。
なので、仙台から福岡に飛び、そこからバスで熊本に入る手段を取りました。
予め行き方をGoogleで調べていたとはいえ、元々が方向音痴傾向で地図で目的地に向かうことが得意ではありません。
Google Mapを見ながら歩くにしても、その最初の地点の方角で???になることもしばしばなのです。
(今回の旅行でも、その能力は発揮しました)
加えて、福岡空港からの熊本市に行くのであればまだ安心感があったのですが、私の目的地は熊本市ではなく山鹿市というところでして・・・、九州住まいの方ならわかります???
地図をみる限り、電車はなく、交通手段はバスしかないようです。
正直不安でした。
福岡空港から熊本に行く高速バスに乗り、バスが高速道路に入ったところで、「知らないことを知っているか?」を問われる出来事に遭遇!
それは、高速道路の途中に停留所があることーーー。
九州にお住まいの方はこれがきっと普通で驚くべきことではないでしょうね?
でも、東北人の私にとっては初めての経験。
東北発着の高速バスは、目的地に一直線で途中下車はできないものがほとんどなのです(私の知る限り)
高速道路の停留所で下車する方を見て、
「一般道にはどうやって降りるんだろう?」
「一般道に出たあとはどうするんだろう?」
この2つの疑問がスーッと上ってきました。
更には、「この状況に私も遭うんだよね・・・」という思いもね。
ただ、私が降りる予定のところは一応インタージェンジだったので、高速を降りての下車になります。
「インターチェンジなら、きっとバスプール的なのがあるのだろう?」
とポジティブな想像をしていたんですよ。
ですが、、、実際降りたインターチェンジがこんなところ。
(動揺していて写真をとるのを忘れたので、リンクを貼っておきます)
「えーーーー」
「ここからどうやって行けばいいのーー」
来るのやめておけば良かった・・・と少し後悔しました(苦笑)
「大丈夫!大丈夫!ここは日本。なんとかなる。」
そう自分自身に言い聞かせ、しばらく目的地に行くためのバス停探し。
ローソンの店員さんに聞いてもわからないというし・・・
焦る気持ちも出てきて、気持ちを落ち着かせようと思ったその時、タクシーが停まるではありませんか?
「ここは聞くしかない!」
迷いなくタクシーに近づいていくと、タクシーのおじさんも旅行者と察してか、車から降りてこちらに歩いてきてくれました。
私:「すみません、山鹿市にいくにはどうしたいいですか」
おじさん:「うん、ここに停まるバスでいけるよ^^」
私:「えっ?」
なんと、高速を降りたバス停のそばにもう一つ停留所があったのです。
近すぎて気づけなかった・・・(泣)
でも、「本当にバスがくるの?」というような場所なんですよね。
おじさんを疑うわけではないのですが、不安は消えません。
「旅行にきたの?」
とタクシーのおじさんがさらに話かけてきます。
私:「ハンドボールの世界選手権を観にきたんですよ」
おじさん:「あー、ハンドボールやってたの?」
私:「学生時代ですけどね」
などとしばらく立ち話(笑)
とても気さくで親切な運転手さんで、私が予約した宿泊先も「バスから見えるからすぐわかるよ!」と教えてくれました。
心細いときにこうした会話ができるのは嬉しいものです。
そんな気持ちになった私は調子に乗って、
「山鹿まで乗っけてってくれません?」
とお願いしていました。
おじさん:「あー、ごめんね。ここでお客さんを待っててねー」
おじさん:「山鹿までだと3,500円位かかっちゃうから、バスで行った方がいいよ^^」
振られちゃましたね(笑)
おそらく、このインターチェンジで降りるお客さんがタクシーを手配していたんですね。
高速で降りる方は、こうしてタクシーを予め予約して目的地に向かうようです。
交通が不便なところなら尚更このような手段を取っておくことが必要と学習しました。
そして、
タクシーのおじさんが発車する前に私を目的地に連れて行ってくれるだろうバスが到着。
この出会いは生涯この時だけかもしれない・・・
そう思うと、切ない気持ちと感謝の気持ちが一緒になって、深くお辞儀をするしかできませんでした。
本当に助かりました。
意識下ではつながると信じて「ありがとうございました」の感謝を届けたいです。
さて、バスに乗っても、
「どんな山の中に連れて行かれるのだろうか?」
「大丈夫?」
という道を走るバス。
まだ夕方で明るかったのが救いでしたが、20分くらいはそんな景色。
20分を過ぎた頃からだんだんとお店や学校や病院が見えてきて、安心したことを覚えています。
宿泊先の目印、黄色い看板が見えた時は、
「あ、あった・・」
という安堵の気持ち。
ホテルの部屋に入った時は、緊張していたせいか、身体も強張り、頭痛も出ていました。
これが初日の移動日の出来事です。
仙台ー熊本の移動だけにも、たくさんの思い出と学びがある
思い出とは、どちらかというと楽しいものにしたい!と思うのが一般的でしょう。
ただ、記憶に残るのはむしろ、トラブルが起こったりのマイナスに思える出来事です。
そういう意味では、今回の私の到着までの出来事はもう一生忘れることはないものですね。
ありがたい経験でした。
さて、初日の私の学びで伝えたいこと、それはただ一つ。
それが「知らないことを知っているか?」です。
自分の知っている世界が全てではなくて、場所が変われば自分の常識が常識ではなくなることもある、ということです。
高速道路の途中下車が私にとっては常識外でのことで驚きました。
ずーっと同じ世界に住んでいると、それが普通になり、考えも固定化されてしまうんですね。
今までにない経験をすることで、否が応でも違う現実を突きつけられて「ハッ」とし、気づかされます。
今回の私は、九州の交通事情を知らず、自分の常識を持ち込んでいました。
思考が柔軟なら、テレビやインターネットの情報からすんなりと受け入れることもできるのでしょうが、私の場合は頭に残らず流れていきます。
体験して気づくタイプなんですよね。
「あなたは言ってもわからないですね。」
「それでは体験させてあなたの常識を壊してあげましょう。」
完全にこのパターンですよ。
まだまだ私の頭の中は常識の塊が残っているなぁと再認識した今回の出来事。
曇りのない透明な目で物事をみることの大切さを学習しましたよ。
息子の不登校で散々常識を壊されてきたはずなのに、自分の常識で考えてしまうというのはどうやら私の癖のようです。
人の凝り固まった考え癖にはすぐに気付けるのに、自分のことになるとなかなか気づけないから困りもの。
忘れた頃にまたきっと体験させられると思います(笑)
最後に不登校に関連づけて書くならば、
私が言いたいのは、不登校もお母さんの偏った見方、考え方に気づかせるものの一つの現象だということです。
不登校のお子さんがいるお母さんは社会的には優秀なお母さんが多いし、しっかりしているお母さんが多いと私は感じています。
高学歴、大学を卒業しているお母さん、仕事でバリバリ貢献している方、一言で言うと「頭が良い」方が多いですね(私はいただくメールを読むだけですが、文章から頭脳明晰であることは感じます)
自分ができるから子供にもできると思い込んでしまうのか、反対に、自分ができなかったことを子供に望んでしまうのか、それはわからないけれど、知らず知らず「期待」をして子供を見ていることはありませんか?
その「期待」が強くなれば強くなるほど、子供は拒絶し、心が離れ、親子の関係性も不登校の修復も難しくなっていきます
それはそうですよね。
お子さんにはお子さんの意志あって、あなたの期待とは同一ではないのですから。
子供を自分の思い通りに動かすなんて無理ですよ。
不登校はこうした親の期待ばかりではなく、学校との関係性が良くないとか様々な理由が考えられますが、いずれも「自分の考えが全てではない」ということを気づかさせ、あなたの思考の幅を広げてくれると思っています。
子供に期待をかけて、その自分の期待通りになるように子供を操作していないか?
きつい言葉かもしれませんが、これは気づきを促すための問いでもあります。
私は息子にはスポーツマンとして活躍して欲しい!と期待を込めて見ていました。
でも、喘息で走ることも苦しい息子には迷惑な話です(汗)
私が勝手に期待して、その期待を裏切られて勝手に気持ちを下げていたのですからね。
ちょっと厳しめなことを言ってしまいましたが、私も時折「ハッ」とさせられます。
「あー、自分の考えを出していた」と。
今回の旅行は忘れた頃にやってきた気付きのパンチでした(苦笑)
「自分中心に考えてはいけませんよ」と促しですね。
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