この記事は【母】が書いています
2020年10月10日、私の大切な、大好きな友人が55歳で天国へ旅立った。
私にとってはまるで姉貴のような家族のような友人だった。
私もこれまで両親を初めをとするたくさんの方を見送ってきた。
でも、今回の友人との別れは今までとは違うもの・・・
私はそのように感じた。
とても悲しくて、寂しくて、涙は流れてくる。
でも、心には温かいものも残っていて・・とても不思議だった。
この気持ちをここに残しておこうと思う。
彼女が闘病生活に入ると同時に連絡を一切絶った私の選択
私が最後に彼女に会ったのは、2018年11月。
最近痩せてきたなぁという感じはあったものの、ボウリング選手でもあった彼女は毎日のように練習していたもあり、私はそんなに深刻な状況とは思うことすらしなかった。
大会が続いて疲れているのだろう、そのくらいに思っていたのである。
しかし、年が明けた2019年1月、彼女が入院したと連絡が入り状況は一変する。
彼女の家族から症状や治療の話を聞くと、状況はかなり厳しいと思わざるを得なく、私もかなり動揺し、混乱した。
最悪の状況も頭に浮かび、心臓の鼓動も速まった。
私は彼女のために何ができるのだろう?
私は彼女に対しどう接したら良いのだろう?
そして、私は考えに考えた末にその日から彼女と連絡を絶ったのである。
えっ?それが友人のすることだろうか・・・
勇気づけ、励まし、支えるのが友人ではないのか・・・
そう思われる方もいるかもしれない。
でも、私にはそれができなかった。
私ができるのは、彼女が元気になれると信じ、心で寄り添い、毎日回復を祈り続けることだけだったのである。
生前最後に会ったあの日のこと・・・
私は最後に彼女に会った2018年11月のことをハッキリと覚えている。
その日は、美容師だった彼女に息子と一緒にヘアカットをしてもらっていた。
カットの前後は、コーヒーを飲んで話し込むのが常。
その日も私達はゆっくり話し合っていて、何ら変わらない光景がそこにはあった。
ただ、今思えば、気になる言動があったことを思い出す。
「背中が痛いんだよね」
と、彼女は体を動かしながら、辛そうに言っていたのである。
今なら、それが体からのサインだったと繋がるが、その時の私はまたしてもボウリングによるものと思って流してしまっていたのである。
彼女が私に残してくれたもの
連絡を断ちつつも、私のこの2年間彼女のことを考えなかった日はない。
彼女の奇跡を祈り、これまでよりもずっとずっと心を寄せて過ごしてきた。
私の中ではより絆が深まった2年間だったのである。
最期のお別れをするのは辛く悲しいことだけれど、彼女が私に残していったものは数えきれないくらいにあって、出てくる言葉は「ありがとう」の言葉ばかり。
彼女が旅立った今、彼女が私に残していってくれたものはなんだろうか?
私が感じた思いをそのまま言語化して残しておこうと思った。
- 悲しくて、寂しいんだけど、なぜか心に温かさが残った
- 今までも、これからも関係は変わることはないなと思えた
- 彼女のような逝き方なら死ぬのも怖くないな・・・と感じた
- これからも大好きという気持ちは変わらない
- 私自身が光に包まれているような感じになった
- 別れとは光と軽さを置いていくものと教えてくれたようだった
こんなところだろうか?
両親や家族など自分と近い存在だと激しい喜怒哀楽を共有していることもあり、良い感情だけが残るとは限らない。
血縁だからこそそういう経験もでき成長できるとは思うけれど、亡くなってからもなお、醜い感情を持っている人がいるのも事実だろう。
ずっと大好きでいられる関係は、ある程度の距離感も必要なんだろうなと今の私は感じている。
彼女が私に残していったのは「心の温かさ」ということだった。
不登校だった息子を一番肯定して、支えてくれたのは彼女だったかもしれないし、ボウリングを通して、好きなことを通して、人と繋がることの大切さを教えてくれていたのも彼女だったのかもしれない。
息子も彼女の愛を忘れることはないだろうと思う。
彼女と出会った頃の私は、不登校という他の子供と違うことに悩み、そして、不登校であるがゆえに、外に出て遊ぶことをためらい、常に周りの目を気にする毎日だった。
息子が好きなボウリングをさせながらも、
「好きなことをさせているんだから、学校にいけよ」
という交換条件的な思いも正直持っていた。
でも、彼女は・・・
今思えばだけど、彼女は全てが見えていたんだと思う。
悔しいけど、遅すぎるけど、本当に今なら分かる。
彼女が息子にしようとしてくれていたことが本当によく分かる。
だから・・・もっと息子の成長を見て欲しかった。
そんな無念さが込み上げてくる。
でも、それが彼女が私に背中で教えてくれたことと言えると思う。
我が子が可愛いくない人はいない。
我が子のためを思って、みんな一生懸命だ。
親の必死さはよく分かるし、私も実際そうしてきた。
でも、どうだろう???
子供が安心できる人とはどんな存在なんだろう?
このように考えたことはあるだろうか?
自分の気持ちに必死過ぎて、子供の気持ちが見えていないということはなかろうか?
思い返せば、まだ小学生低学年だった息子は彼女のそばにばかりいようとしていた。
彼女のそばを離れようとしなかった、と言っても過言ではない。
ボウリング場で彼女を見つけると、
「〇〇ちゃん!!!」
と駆けていって、いつも抱きつき、一緒に投げることを本当に楽しんでいた。
実家にも一人で泊まったことがないのに、彼女の家には一人で泊まるということもしていた。
幼い息子も感じていたのである。
- 彼女といると安心
- 彼女といると楽しい
- 彼女といると自分が全開でいられる
ということを。
母親として未熟すぎた私を彼女が補ってくれていたし、彼女があるべき姿を見せてくれていた。
こうした彼女のこれまでの愛ある行動が、私の心に「温かさ」として残っているのだろう。
私はこれからどう生きるのか
人として大切なことって何だろうか?
それは、温もり、安らぎ、繋がりといった絆ではなかろうかと今の私は思っている。
どれだけの温かさを人に残していけるのか。
今、私はこのことがとても大切に思えている。
亡くなった人に対して、最初にどんなことを思うのか。
その最初に浮かび上がる印象に、その方の人柄そのものが凝縮されているように私は思う。
そう考えると、遺産争いなんかは最悪だ。
欲得は悲しい人間の性なのかもしれないが、残念ながらこのようなことをしていては温かさは残していけない。
- 遺産争いをした
- 出世することにエネルギーを注いだ
- とにかく結果を求めた
- 豊かさのためにお金を追い続けた
確かに生き抜くためにある程度は必要なことなのかもしれないと思うが、行き過ぎは温かさを決して残さない。
それが、彼女の旅立ちでわかったことだ。
勿論、彼女が完璧だったと言うつもりはない。
ただ、彼女が私に残したのは温かさだったということ、それが今までの別れとは違ったということ、私にとってはそうだったということだけだ。
理想の世界へ
近年、人は自然な心を失いつつある。
現在の教育システム、社会的なシステムに適応できずに、心身のバランスを崩している人が多いように思う。
物質的には豊かになっているのに、本当に皮肉なことだと私は思う。
私達はもっと心の声を大切にしていって良いのではなかろうか?
感じることをもっと大切にしていった方が良いのではなかろうか?
もっと自然に自分の五感、第六感を信じても良いのではなかろうか?
こうすべき、こうした方がいい、こっちが正しい、という囁きに負けないで、自分の感覚を信じても良いのではなかろうか?
その囁きに従ったことで、自ら苦しんでいる人もいる。
あなたも少なからず経験していると私は思っている。
- すごく頑張り屋だった
- いつでも一生懸命だった
それがその人にとって自然の振る舞いで、それを楽しんでいる様子が周りに自然と伝わっているような感じだったら、その人の生き方は素晴らしいものだったと言えると思う。
でも、どこか苦しそうなものをあなたが感じるなら、その方もきっと苦しみながら頑張っていたんだと思う。
苦しさも自分のしたいこと、好きなことだったら、それは喜びに変わる。
旅立った彼女もボウリングに打ち込み、県の代表として全国を飛び回っていた。
スランプに苦しむこともあれば、怪我で苦しむこともあった。
結果を求められるプレシャーも相当なものだった思う。
でも、ボウリングをしている彼女は輝いていた。
本当に好きだったということが伝わってきていた。
良い仕事を得るために学歴を得るという発想を持っている昭和世代は本当に多い。
それがその人に合っているなら私は何も言わない。
でも、全員が全員そうではないだろう。
誤った選択で自分がくすむくらいならそんな選択はしない方がいいと思うし、子供に押し付けない方が良いというのが私の考えだ。
人の輝き方なんて、本当にそれぞれなのだから。
あなたにも、子供たちにも、もっと自分の感覚を信じ、大切にしてもらいたいと思う。
もっと自然に、自分の輝く生き方を歩む人が増えたら良いと思う。
決まったルールに縛られない自由がもっと広がれば良いと思う。
目をキラキラさせて生きる大人、子供を増やしたいと思う。
それぞれの輝き方で生きることを尊重できるような世界にしたいと思う。
あなたは、どう思うだろうか?