この記事は【母】が書いています
2020年、変則的な日程で行われた野球も大詰めです。
と、野球に興味がない方もいらっしゃることは承知していますが、私は野球を観ながら常々思うことがあるので、こんな切り口になってしまいました。
野球はスポーツですから、勝ち負けがあるし、監督も選手は数字としての結果を求められもします。
今日取り上げたいのは、この「数字」の部分です。
特に、監督さんは気の毒ですよね。
負けが込んでくるとファンから容赦ない罵声を浴びせかけられることもあるし、ネット上で叩かれることもしばしばですから。
まぁ、野球に限らずスポーツは、とにかく結果、結果、結果の世界です。
とは言ってもですよ、
内容はよくても、残念ながら結果がついてこない選手がいるのも事実でして、これを「運が悪い」だけでは片付けたくないよなぁ、というのが私の思うところでもあるのです。
数字に現れない部分も評価に入れて欲しい!
そう思うわけです。
これは何もスポーツだけではなく、勉強にも仕事にも通じることと私は思っているので、今回の記事では、結果も大切だけど内容を見る目を持つことも大切にしたいね、ということについて書いてみようと思います。
結果を求められるのはスポーツ選手の宿命?
スポーツにおいては「勝つこと」に主眼が置かれます。
競技においては、タイムや採点で順位がつくものもあれば、勝ち負けで順が決まるものもありますが、「相手より勝る」ということに関しては共通しているのではないかと思います。
総じて言えることは、全部「数字」で示されるシビアな世界ってこと。
「結果が全て」という言葉も度々聞きますしね。
ちなみに、今回野球を観ていて思ったというのが、投手の勝敗です。
勝敗に関わる「数字」ですね。
0-1で負けても1敗だし、
10-8で勝っても1勝。
上記の内容で評価するなら、1敗の方が良いんじゃないか?
と私は単純に思ってしまうわけです。
でも、数字で評価されるのだとしたら、「1勝」の方が良いということになりますよね。
内容が悪くても勝ちは勝ち。
確かにそうだけど、私の感覚は正直「モヤッ」としてしまう(苦笑)
不思議なもので味方の援護がない投手もいれば、大量の援護点をもらえる投手もいます。
でも、試合は決して数字だけではない。
私はそう思っているわけで、
一つの泥臭いプレーが流れを変えたり、見落としがちな些細なプレーがチームの士気を高めたり、そんなこともあるというとことにも注目したいんですよね。
数字には残らないプレーこそがチームの和を高めていることもある。
私はそこもしっかり見て、選手を評価してあげて欲しいな、と思ってしまうのです。
数字は気をつけて向き合わないと人の情熱を奪うものになる
数字は、客観的に判断するには平等な指標と言えるのかもしれません。
でも、こうした結果主義というのが私はどうもしっくりこなくて、西洋的と感じてしまいます。
数字に冷たさを感じてしまうんですよね。
これが私の正直な感覚であり、野球を観ていて思ったことです。
時には数字を出すことも必要なので、それを否定はしません。
ただ、私が言いたいのは、
数字が全てとは考えない柔軟な見方を取り入れる、
ということなのです。
数字を必死に追うこと、追わせることをしているとどうなるか?
これは経験したことのある方ならわかると思います。
心が元気でなくなり、壊れていく・・・
そんな傾向にあると言えないでしょうか?
数字を決めて、その数字を達成することは、喜びでもありますね。
次なる目標に向かうモチベーションになることもありますね。
でも、行きすぎると・・・
人は虚しさを感じるようになるようです。
- いつまで続ければいいんだろう?
- 果たしてこれでいいのだろうか?
- 私はこれからどうしたいんだろう?
結果は出ているのに・・・。
燃え尽き症候群は、数字だけを目標にしてしまったことが一つの要因だと私は考えています。
人より良い成績の人を見て「すごいなぁ。いいなぁ。」と人は思う。
でも、当の本人は苦しさを抱えているケースもある。
結果だけを求めすぎるとこうなることもあり得るのではないでしょうか?
数字を相手にするというのは、本人が思う以上に意志力も要するし、エネルギーを要するものです。
結果、疲れるし、長く継続することが難しいので、多くの人は挫折していきますね。
これは私も経験したのでわかります。
私の場合は、息子の不登校を経験して、数字で評価されることに嫌気がさした、これが一番大きいんですけどね。
こうした数字の呪縛から私は逃れたい。
人を数字で見るようなことはしたくない。
そう思うようになりました。
人のやる気を促すには、自分でスイッチを入れさせること
- 英語の成績を上げろ!
- 今月は〇〇円の売り上げを上げろ!
- 今月は〇〇件契約しろ!
こんな風に言われてあなたはやる気が出るでしょうか?
- あなたの成績は◯◯なので、あなたの評価は〇〇、給料は〇〇です。
このように提示されて、次は頑張るぞ!と前向きになれるでしょうか?
私は残念ながらなれません。
感情として出てくるのはむしろ「イラッ!」でしょう(笑)
人は数字をあげるマシーンのように見れば、そりゃー、人は心を失っていきます。
だったら、
数字で見るのは一旦置いておきましょうよ、
と私は言いたい。
さて、私ならどうするか?
まずは、相手を観察します。
- こんな時に笑う
- 〇〇を美味しいという
- 辛い食べ物が好き
- 〇〇に興味を示すetc
観察しながらいろいろ発見していきます。
初期の恋愛を思い浮かべていただければ、わかりやすいかもしれませんね。
やっていることは一緒です。
そうすることで、数字ありきで見ていた自分のメガネを外すことができると思います。
実は、数字を気にする人ほど、数字以外の部分を多く見落としていて、頭が堅い印象や視野の狭さを感じさせるものです。
本人は気付いていないから、私のこんな話もおそらく残らないでしょう。
でも、もしここであなたがハッとしたのなら、あとは簡単。
気づくことで変わっていけますからね。
そうなると、
- 数字の世界も相対的に見ることができるようになるし
- 自分の心も楽になるし、
- 人の良さにも気づけるようになる
と私は思っています。
やる気というのは、自分でスイッチを入れることで生まれるもの。
人がどんなにスイッチをいくら押しても無理なんですよ。
自分のスイッチは自分で押させないとね。
観察して、その人のことを知っていけば、
- この人のスイッチはどこにあるのか、
- それを自分で押せるようにしていくにはどうすればいいのか?
を考えるようになります。
数字で評価してしまうのが指導者のすることではなく、目の前の人が可能性を広げていけるように、目の前の人の特性が生かせる方向へ進めるように、そういう視点で導いていくことができる人が真の指導者と私は思います。
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