この記事は【母】が書いています
2020年はコロナに始まりコロナで終わった歴史的な一年でしたね。
2020年は忘れることのできない年の一つになるのかもしれません。
しかも、コロナは今後も継続していきます。
このコロナにより、健康を見直された方、働き方を見直された方、そして、人生そのものを見直された方がいらっしゃったと思います。
私もそうです。
日々過ごせるだけで本当はすごく幸せ。
生活が今までに比べて不便になりつつも、毎日食べて、寝ることだけはできていましたからね。
日常の些細なことがとっても愛おしく感じた一年でもありました。
あなたは2020年をどのように振り返っているのでしょうか?
そして、2021年以降、世の中はどう変化していくのだろうと考えているのでしょうか?
「こうなる」とは言い難いけれど、「なんか変わっていくような気がする」という感覚を持っているのは私だけではないと思います。
私は先日、ネットのニュースである記事を目にしました。
その記事が私の頭からなぜか離れないのです。
「これが令和的流れなのかもしれない」
とも思えたので、今回はその記事から思うことを書いていきたいと思います。
私が惹きつけられてしまったのは、19歳の女性地球保護活動家の記事
私の目に止まったのは、地球の危機まであと7年ということを知り、気候変動の問題を伝えるために、大学を休学して活動する19歳の女性の記事でした。
過去の私なら、きっと目にも止まらなかった記事でしょう。
興味すら持てていなかったかもしれません。
でも、今は、目に止まってしまいました。
なぜなら、私にとってはこれまでの価値観とは全く異質なものだったから。
でも、今後はこういう若い方達が世界をリードしていくのかも?とも思えたんですね。
私が目にした記事はこちらになります。
これは朝日新聞の記事。
削除されて読めなくなるとなんのことかわからなくなるので、一応こちらのリンクも乗せておきますね。
地球の環境問題についてはニュースでも流されているので、「初めて聞いたよ!」という方はまずいないと思います。
ただ、どちらかというと、地球レベルの話は大きすぎて、日常では危機を感じづらい、自分事として考えづらい、というのがありますよね?
それは国が対策すべき問題でしょ?
みたいな人任せみたいな認識になっていたところが私にはありましたので(苦笑)。
もっとハッキリ書けば、「私には関係ない」という意識だったのです。
携帯を使ったり、生活排水を流したり、車に乗ったり、私も地球を汚している一人にも関わらず、です。
便利さを享受する意識の方が強すぎて、自分が汚している意識を持てていない人もまだまだ多いと思います。
文明化が進んで私達の生活は便利になりましたが、その一方では地球環境は昔に比べたら悪化している。
そういう意識すらも持てなくなっていたのが私達世代かもしれません。
19歳の環境活動家の露木さんは、親にこう言われたと言っています。
「あと3年待って活動するのとどう違うの?」
と。
きっと、私も親として同じことを言うだろうし、何なら、
「大学に通いながらやったらいいんじゃない?」
ということも言うと思います。
大学を卒業することが大前提、せっかく入ったのに勿体ないという意識・・・まだまだ潜在意識に残っています(苦笑)
でも、露木さんは、
「3年後では遅い!」
「地球が持たない!」
と言い切り、大学を休学するのです。
そして、「今動けば間に合う」と、地球の危機を伝えるため、小学校、中学校、高校と回って講演活動をしています。
なぜこの記事に目が止まったのか?
なぜ、この記事がパッと私の目に飛び込んできたのでしょうか?
それは、世代間ギャップがあるとはいえ、私が生きてきた価値観と全く違っていたからでしょう。
地球のことまで考えることができる若者の存在に、ハッ!とさせられるショックを受けたということ。
19歳の頃の私は、自分の楽しみや理想を追求する自己中な人間だったから、その違いに恥ずかしさがあったこと。
この二つでしょうね。
私達世代は、大学も就職のための「資格」的な要素が強くありました。
良い会社に入るために大学に行く、ですね。
今でこそ、私はその考えに大いに違和感を感じますが、それが普通であり、周りもそういう感じでした。
私達はそういう時代を生きてきたのです。
(そのような生き方を仕向けられたともいえるかもしれませんね)
その価値観で露木さんの決断を聞いたら、
「そりゃぁ、慶應大学に入っているんだから、もったいない」
という考えになってしまう。
ある意味、昭和的な見方です。
でも、そもそも平成生まれの子と昭和の私達とは、生きた時代も感性も異なります。
私達昭和の感覚で平成生まれの子供を見てしまうと、平成の子供達が持つ良さを見落としてしまうことにもなりかねないと私は思っているんですね。
昭和の時代があったから今があるわけで、決して昭和を否定するわけではありませんよ。
ただ、時代には流れというのがあるので、昭和の人には昭和にあった生き方があり、平成の人には平成にあった生き方があるということです。
そして、今、平成を経て、令和です。
平成生まれの子達が30歳を超える時期に入ってきていますね。
つまり、これからの日本は平成生まれの子達がリードしていく時代。
平成の子達が令和をリードしていくのです。
令和には、昭和でもなく、平成でもなく、令和的な流れがある。
令和という時代は、平成生まれの子供達が中心となって作っていくのだろうと私は思っています。
そして、これを読んでいるあなたのお子さんもほとんどが平成生まれだと思います。
もし、あなたのお子さんが露木さんのような選択をしたら、真っ先にいう言葉はどんなものでしょうね?
私と同じだったら、かなり昭和的な見方を持っていると言えるのではないでしょうか(笑)
ちょっと表現が難しいのですが、わかりやすくするために、私が感じる昭和、平成を言語化してみますね。
昭和
- 現実的、科学的なものを求めた
- 物質的なものや結果を求めた
- どちらというと競争で上を目指した
平成
- 感性を大事にする
- 物を求めるよりかは自分らしくあることを求める
- 競争心が昭和よりない(人の優れているところを認め合い、比較しない)
こんな感じでしょうか?
これらはあくまで私の印象ですよ。
結果を求め、セカセカ動くのが昭和なら、平成は自然体でのんびりしている、でも、それがどこか自分らしい感じ。
昭和は決まった枠内での発想になりがちだが、平成の子はその枠がないというか、枠があってもその枠を自由に出て、別の枠で考えることができるイメージ。
大谷翔平選手、羽生結弦選手、藤井聡太君らがわかりやすい例になると思いますが、私には彼らの感覚がまるっきり違うと感じるのです。
彼らは、不可能と言われることを可能にする信念を自然体で持っている。
↑
私のような根性論は持っていないのは確か。。。
自分の独創性を自分自身が何より信じ、自分で切り開いて行っている。
私にとっては枠外に存在する感性を持っているのが彼らです。
これが、私がすごくすごく感じていることです。
そして、なんとも自由で羨ましいとさえ思えてしまいます。
自分が本当に昭和だよな、新しい違う価値観を受け入れていかないとなと、思わされるのがココなんですね。
この感性的的な部分。
だから、不登校なんて関係ない。
長くなりましたが、露木さんの記事が目に入ったのは、この昭和的価値観ではない決断をしている、この点だと思います。
これが「令和的な生き方?」として、飛び込んできた感じでした。
地球があと7年しか持たない・・・か
これが現実のものだとしたら、あなたならどうしますか?
もし、あと7年しか持たないとしたら、老後の2000万円問題もなんの意味も持たなくなります(笑)
もっと別なことに意識を向けた方が良いですよね?
地球の存続に目を向け積極的に活動する平成の方。
2000万円を気にして自分の老後に目を向ける昭和の方。
地球を見るか自分を見るか。
これも時代背景なのでしょうか?
私は自分の考えに純粋に「やばい!」と感じ、恥ずかしくなりました。
このような志を持って、精力的に活動をするのがあなたのお子さんであり、同世代の子達なんですよ。
平成生まれの子供達は、こういった背景の中で生まれ、育ってきました。
私にはとても頼もしく見えるし、希望ですらあるのですが、あなたにはどう映るでしょうか?
私は平成の子供達のそれぞれの生き方を応援したいと心から思います。
令和的生き方とはいかに応援されるか?
「いかに応援されるか?」
私はここが一つのポイントだと思いました。
これからの会社、これからの人は、「人に応援される」が大切になってくるのではないでしょうか?
私は、露木さんのような女性を応援したいと強く思いました。
それが私にとっての一つの証拠みたいなものです。
自分の志を立てて、その使命に熱く生きる若者。
いいですね!
中には、
何がしたいのかわからない、
どう生きたらいいのかわからない、
というお子さんも多くいることでしょう。
でも、それは太陽が雲で覆われているようなものです。
雲が晴れれば、輝かしい光を放つはず。
私は平成の子供達はそういう種を持って生まれてきているように思っていますから。
その種をどう扱うかは、親や周りの大人次第。
自分の子供だけではなく、同世代の子供達も同じような目で見ると見えてくるものがあるのかもしれませんね。
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