【第1回】不登校 小学校編〜ある日突然、不登校は始まるの?!

不登校 小学校

 

母

この記事は【母】が書いております

 

親は子供が突然不登校になって驚くけれども、果たしてそうなのでしょうか?

冷静に考えてみると、そうとは言えないのかもしれません。

驚いているのは親だけですよ。

子供の立場になって考えてみれば、突然行きたくない!と思うことはないですよね。。。

何か嫌だと思うことがあって、それでもある程度我慢して登校して、その我慢も限界に達して、という流れがあったはずです。

人って自分本位だなってホント思います。

それを教えてくれたのは息子です。

やっぱり感謝しかありません。

 

私の不登校初心者の息子の小学校時代は、反省だらけの過去になります(苦笑)

でも、こうした失敗があるから人間の成長もあるので、これから包み隠さずに伝えていきますね。

 

息子の不登校の症状は体調不良から!

息子はよく朝になると、

  • 頭が痛い
  • お腹が痛い
  • 吐き気がする

という症状を訴えていました。

前日の夜には、「明日は行くから・・・」と言って寝るものの、朝になると上記の症状が出るのです。

今の私なら「相当辛い何かがあるんだろう?」と原因がわからなくても、一旦休ませる選択を取るのですが、当時の私はそんなことさえ思い浮かびません。

ひどいことに、本心で思うことは、

「学校を行きたくなくて、仮病を使っているんじゃないのか?」

だったのです。

 

朝、こうしたことが起こり始めると、私のイライラはどんどん増していきます。

そして、イライラがイライラの連鎖を呼び、些細なこと全部がイライラに変わっていくんですよね。

全てが面白くなくて、息子のやることなすこと全否定・・みたいな感じ。

 

 

それに加えて、学校に「具合が悪いので休みます」の電話も相当な苦痛で、この辛さは今でも思い出せます。

そして、

「学校に行ってくれたら、こんな苦痛もないのに!」

と、イライラの矛先が無意識に息子に向いてしまっていました。

 

これはおそらくお子さんの不登校を経験された方なら、「うん、うん」と頷ける部分かもしれませんよね。

当時の私は、

「なんで、私にこんな嫌な思いをさせるの?」

「なんで、こんなに困らせるの?」

という思いばかり。

矢印の方向性は常に自分で、

「不登校=恥ずかしいこと、だからやめてくれ!」

と心で叫んでいたのです。

 

 

さて、ここで大事なことをお伝えしておこうと思います。

それは、私の大いなる反省点なのですが、それは「学校に行かせること」をゴールにしてしまったことです。

私自身、この考えには相当縛られておりました。

それくらい、不登校がバレる恐怖って大きかったんですよね。

 

でも、今思うと、息子も相当ツワモノ(笑)

学校が嫌だったかもしれないけど、殺気立った私といることも相当怖かったはずだし(苦笑)

当時の小さな息子(今となっては孫のような感覚ですが^^;)、どんな思いでいてくれたのかなぁって本当に申し訳なく思います。

 

今だったら、ただ、ただ、抱きしめたい・・・。

とても切ないです。

 

私の思い出す息子というのは、感情が荒ぶることもなく、ふてくされて部屋にこもることもありませんでした。

むしろ、どちらかというと、私の様子を心配して見守っているような感じだったのです。

私が機嫌が良さげな時は、くっついてきて、一緒に話したり、遊んだり、どう見ても未熟だったのは大人の私だったと思います。

 

小学校の不登校は、母親の愛情だけで十分です。

将来の心配をする必要もないし、学校のことで必要以上に悩む必要もありません。

自分は愛され、信じられている!ということを、心にしっかりと植え付けることの方がずっとずっと重要です。

 

朝学校の門をくぐれなくても、保健室、別室のサポートルーム、スクールカウンセリングには行っていた息子。

小さな息子にはそれが精一杯、本当に頑張っていたんですよね、本当はそれだけでも十分だった。

でも当時の私の望みというのは「登校」のみ。

「そんな生活は甘すぎる」と思い、満足することは決してなかったのです。

 

不登校の子供は鋭い感性で先生を見抜いている!

息子の小学校は毎年先生が代わっていたので、6人の先生が担任となりました。

先生の個性も当然ながらそれぞれで(汗)、不登校の子供に対する対応もその個性が出ていたように思います。

 

「不登校の子供は感受性が強い」

あなたももしかしたらこのような言葉を聞いたことがあるかもしれません。

子供だからと思ってうまい言葉で言いくるめようとしても、子供はそのことを見抜いてしまいます。

息子はそのあたりが敏感すぎるくらいに敏感でした。

ですから、これは先生だけではなく全ての大人が気をつけるべき点かもしれませんね。

 

でも、反対に、

偽りのない心で接してくれる温かい先生も上手に感じ取っていましたね。

まぁ、人の好き嫌いでしょ?と言われればそれまでなのですが、これはとても大切な感覚でして、無視してはいけない部分と私は思っています。

 

そして、息子にとって、心を開いた最初の先生が養護教諭の先生だったのかなぁと振り返っております。

 

養護教諭の先生(以下K先生)との接触は今でも鮮明に覚えていますね。

それはK先生から自宅にかかってきた1本の電話から始まりました。
(おそらく担任の先生から息子が休みがちなのを聞いて、電話をかけて下さったのだと思います)

 

K先生
K先生

こんにちは。〇〇小学校、養護教諭のKと申します。〇〇くんの具合はどうですか?

母

ありがとうございます。おかげさまで今は落ち着いています。
(学校を休むと電話をした後は、元気になることが多かったのです)

K先生
K先生

もしよかったら、〇〇くんも一緒に、保健室でお茶を飲みながらお話ししませんか?

母

・・・

K先生
K先生

今までお話する機会もありませんでしたし、お話してみたいと思いまして。

母

わかりました。
息子に聞いてみますので、少しお待ちいただけますか?

母

K先生が保健室で話をしようと言っているけど、お母さんと一緒に行ってみる?

息子
息子

うん、いいよ。

母

行くと言っていますが、今からでよろしいのでしょうか?

K先生
K先生

ありがとうございます。お待ちしていますね。

 

こんな感じだったと記憶しています。

 

私にとって学校というのはとても敷居の高いものでして、先生には逆らえないと思っていたところがあります(古い人間です)

K先生は本当は救いの手を差し伸べて下さっていたのに、実際の私の心は、

「あー、呼び出しくらっちゃったよ・・・」

だったんですよね。

なので、どちらかというと重い感じでした。

 

しかも、保健室で何を話せばいいのやらと私の頭の中はぐるぐる状態。

 

そんな感じで重い足取りで息子と学校に行き、保健室に入ったのです。

笑顔で

「〇〇くん、よく来たね」

と声をかけてくれるK先生。

 

私は私で、どんな固い話が待ち受けているのかな?何を聞かれるのかな?と、ガードをあげつつ身構えていたのですが(苦笑)、ここで私の気が一瞬緩む出来事がありました。

K先生が出してくれたのは、お茶ではなくて、私の好きなコーヒー、しかもお菓子つきという(笑)

 

 

「あれっ」と拍子抜けしたことを覚えています。

 

それで少し緊張の取れた私は、自然な流れで息子の様子を話すことをしていました。

 

K先生
K先生

教室に入れなかったら、保健室に登校してもいいんですよ。

母

えっ?そんなことをしていいんですか?

K先生
K先生

あ、結構いるんですよ^^そういうお子さん。

K先生
K先生

だから、〇〇くんも来れる時はきていいよ。でも、今は休むことの方が大切だから無理はしないでね。

K先生
K先生

今日は頑張ってよく来たね。◯◯先生に今日は〇〇くんが学校に来たから出席と伝えておくね。

 

こんな感じでK先生とお話をして、私の心はかなり軽くなりました。

 

K先生は「休むことが必要」と話してくれましたが、

当時の私には、

「今の〇〇くんには休むことが必要。」

この意味が全く理解できませんでした。

「もう、十分すぎるくらい休んでいるし、いい加減学校に行って欲しいんですけど・・・」

「保健室に行って出席になるなんて、他の子達に申し訳ない・・・」

このように思っていたのです。

 

K先生は養護教諭ですから、これまでにも不登校の子供に接したことが何度もあるのでしょう。

不登校の子供の対応がわかっていたんですよね。

私に対しても、

「今まで気付いてあげられなくてごめんね。もっと早く声をかければ良かったね。」

とまで言ってくださりました。

 

不登校に悩む親にとって、こうした言葉は胸に響くものです。

私は溢れそうになる涙を隠すのに必死でした。

 

K先生の温かい手の差し伸べから、息子の小学校の生活は、

  • 保健室に行くか
  • サポートルームに行くか
  • スクールカウンセリングに行くか
  • 家にいるか

の4択なりました。

 

こうして私の心の中の氷が少しずつ溶けはじめ、不登校を前向きに受け入れられるようになっていったのではないかと思います。

でも、まだまだ登校の希望は捨てられなくて、環境が変われば中学校も通えるかも?と期待もして、卒業をしました。

 

小学生の子供が不登校になったら今の私がすること

 

 

結論から言うと、

小学校時代の不登校は、優しく見守るだけでいい!

私はこのように思っています。

なぜなら、子供の頃に経験したことは、良くも悪くも記憶に残りますし、自分の好きなものや得意なものというのは、小学校時代に既に形成されていることも多いからです。

本当は、学校の授業の好き嫌いで、自分が得意なもの、興味が持てる分野を見つけていくのが理想なのかもしれませんが、時間に縛られるのが嫌、みんなと同じことをするのが嫌、というのも立派な個性の発見です。

小学校の不登校で親がすべきことは、子供の心に傷をつけないこと。

学校に行かない心配や不安やイライラは確かにあります。

でも過ぎてみれば、学校に行かなくても普通に育ちますし、小学校での勉強の遅れは全く問題になりませんでした。

子供の頃に苦しい記憶を引きづり、そのまま大人になることの方が私は心配です。

 

ここで少しだけ考えてみてください。

  • 不登校でも「〇〇は大丈夫!」と励まされて育った子
  • 学校にも通えなくて将来はどうなるの?と心配されて育った子

どちらの子が良い人生を歩む可能性が高いでしょうか?

 

先にも書きましたが、不登校の子は人の心を敏感に感じ取ることが多く、大人の言葉の奥にある真の思いを見抜くことが多々あります。

子供だから・・・と思ってネガティブな言葉を発していると、結果として、自分が苦しむことになってしまうんですね。

 

親も間違いを繰り返しながら成長するので、最初は未熟でも全然構わないです。

いろいろ経験して、気付いて、不登校に対する見方が変わってきたら、それまで以上に子供のことを思うことで過去のマイナスがプラスに変わりますから、必要以上に自分を責めないことも大切ですね。

 

私にとって養護教諭のK先生がそうであったように、ポッと自分の心に火が灯るような方に出会うこともきっかけとなります。

自分の心を閉ざすことで、その方に気づけないことがないようにしてくださいね。

 

無責任な言い方の聞こえるかもしれませんが、小学校時代の不登校は行かせようと頑張るのではなく、子供の心を大切に育てていくだけで十分だと思います。

 

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