【第0回】不登校だった息子が大学生になったから今だからこそ伝えられること

息子の不登校物語

 

母

この記事は【母】が書いております

 

「不登校が終了したから伝えられることって、やっぱりあるかも・・」

最近私はこのように思うことが多いです。

 

「えっ?どんなこと?」

と思っていただけたら嬉しいですね。

 

ということで、今回から数回に渡り、

「不登校を終了した私が過去の私にアドバイスをするなら?」

という視点で過去を振り返って行こうと思います。

 

今の私というのは、学校を中からも外からも見れる立場です。

学校という扉の中の世界に出たり入ったりしながら、学校や教育というものを自在に見て、考えることができる感じですね。

なんとなく伝わりますでしょうか?

 

今の私だから伝えられることがある。

 

私はそう思っていますので、時系列に過去を今一度振り返り、思うことを書いていきます。

 

でも、その前に、私が不登校を経験して、「こんな考え方に行き着いたよ!」というのを、少しだけ紹介しておきますね。

以下に紹介するものは、息子が普通に学校に通っていたなら、絶対に身についていない考え方です。

あなたは今苦しんでいるところかもしれませんが、不登校終了後に自分がどのように変わっているかを、私の経験から少しでもイメージしていただけたら嬉しく思います。

 

不登校の経験は必ずあなたの成長に繋がる!

 

 

できることなら、不登校では悩みたくなかった・・・

これは多くのお母さん方が思うことではないでしょうか?

子どもが毎日元気に登校し、友達と寄り道してから帰ってきたり、宿題をしなければ怒ったりして(笑)、そんな生活が理想だった。

このように思うかもしれませんよね。

確かに不登校は苦しかった。

でも、今となっては人と違う経験ができて私は良かったと思っていますよ。

具体的にどんなことが良かったかと言うと、

  • 息子が不登校になったことで、学校教育に疑問を持ち、考えることができた
  • 去っていく人、寄り添ってくれる人がハッキリと分かれ、人付き合いが楽になった
  • 今まで人や物事を自分の偏見や固定観念で見ていたことに気付けた
    (ドップリと洗脳されていたことに気付けました)

ですかね。

あまり挙げてしまうとゴチャゴチャしてしまうのでこのくらいにしておきます(笑)

とにかく、長年の固定観念や価値観に縛られたことに気付けて、そこから自由になれたことが大きいです。

ここを抜け出すために私の人生の中で息子の不登校がプログラムされていた!と言われても良いくらい(笑)

でも、まだまだ染み付いた堅い考えは抜け切れないところもあって、息子の指摘で気付くこともよくあります。

価値観や固定観念からの自由は、人と接するときも大いに役に立つということもわかりました。

相手の意見が自分と違っても、いろんな正しさがあると自然と思えるようになったし、それにより人間関係のストレスが本当に激減しましたしね。

人生ってこうした学びの連続なんでしょうね。

そして、これは自分が寿命を全うするまで続くということも・・・。

 

子供がどう成長するかで、あなた自身が輝く!

 

 

過去のどんな偉人にも共通していることは、誰もがお母さんから産まれていることではないでしょうか?

お母さんがこの世に送り出すことをしなければ、偉人と言われる人も存在すらしなかったのですから、「産んだ」だけで偉大なこと。

子供がたとえ不登校だったとしても、成長した将来において、

  • 人を助けることをしているかもしれない
  • 便利なものを作り出して人に喜ばれているかもしれない
  • あなたがいて救われたと思われているかもしれないetc

のです。

もちろん、子供自身が持って生まれてくる才能、個性というのはありますが、私はそれだけでは測れないと思っていますよ。

 

親をはじめとする周りの大人がその子をどう見るかによって、その子は変わっていくのではないかと思うからです。

 

不登校だから不利だと思って見ていれば、その観測者効果が働きますし、この子にもきっとできる!と思って希望の目で見ていれば、のびのびと才能を発揮していく。

そんな気がします。

私自身、自分の子が大きく世の中には貢献するようになるとは期待してませんけど(笑)、身近な人の小さなお役に立つことはできると信じていますし、

偉人とまではいかなくても、この方のお母さんってどんな方なんだろう?どう育てたらこんな良い子に育つんだろう?と思われたら、親として嬉しいですよね?

大事なのは、学校にいくことなのではなく、将来どんな人間になっているかなのではないでしょうか?

不登校だからこうなった、どーだと言うのは、私にとっては逃げであり言い訳なので、言いたくありません。

不登校であっても、子供が将来に希望を持って歩めるように環境を整えるよう努力するのが家族をはじめとする接する人の役目で、

子供が成長し、その子が社会でどのような役割を果たすのかで初めて母親が輝くと私は思っています。

それがもしかしたら死んだ後かもしれないけど、私はそれでも良いかな?
(母親というのは、一番最後ですね💦)

人のお役に立ち、世の中に貢献できる子を残していけたら、親として嬉しいです。

どんな子供を世に残していくのか?

という長期的な目線で見ることにシフトできたのも息子が不登校だったからだと思っています。

 

考え方・見方が変わることで学校教育を俯瞰できるようになる

 

 

これこそが不登校の特権とも言えるのではないかと私は思っています。

私も正直学校が好きではない方でしたが、当時は「我慢」という選択しかなくて、従うしかなかったんですよね。

学校とはこういうもの!とどこかで決めていたところがありましたし、学校制度に疑問を持つとかは一切ありませんでした。

疑問すら浮かばないくらい洗脳されていたんですよね。。。
(洗脳というと宗教的な意味合いが強くなりがちですけど、一つのことを信じ込むという意味で使っています)

でも、息子が不登校になって、学校への不満、先生への不満などの言い分に耳を傾けるうちに、私もおかしい!と気付けるようになっていました。

 

その気付きのきっかけってなんだと思います?

 

あくまで私の場合はですが、

それは親である自分も「なんだ、この先生は!」と思えるくらい徹底的に嫌いな先生に出会うことではないかなぁ。

先生が見事に悪役を演じてくれたことで、自分が何を嫌と思うのかが明らかになったんですね。
(嫌を嫌で終わらせてしまうとただの愚痴なので、そこは気をつけてください)

嫌だと思えるところ=学校や先生の問題点でもあると思いますし、今後改善が望まれる部分でもあると思うのです。

あなたもなんとなく学校のこういうところが嫌、問題と思っているところがあるのではないでしょうか?

そういう角度で学校を見ていくと、自分の中で学校に対する見方の幅が広がります。

いろんな角度から学校教育をみることができるようになる、ということは、不登校経験者ならではだと思いますよ。

 

最後に

 

 

簡単にですが、私が不登校を経験したことで、自分の変化した部分を紹介いたしました。

息子が高校までの間は、どうしても学校という枠組みに中に自分もいるので、その枠組みの中でしか答えが出ていなかったんですよね。

枠組みの外に出ているようで(自分は出ていると思っていた)、実は出ていなかったって感じです。

息子が大学生になった今は、よりより枠組みの外から学校を見ることができるようになり、「こういうことだったのか・・・」という感覚にさせられています。

すごく表現が難しいのですが、視界が全く違うのです。

細かくも、広くも見れて、自在にフォーカスを変えて見ることができる感じ?

感覚的な部分もあり、それを言葉にしてどれだけ伝えられるか?というのはあるのですが、そこはカテキョーくんや息子の言葉の力も借りて、今後お伝えしていくつもりです。

 

これから書いていく内容に、きっとあなたの納得のいかないところもあるかとは思います。

でも、ただ一つ伝えておきたいことは、不登校は決してあなたのマイナスにはならないからということ。

良い経験をしたな、あの経験があったから今の私があるんだな、と思えた方が良いですよね?

できるなら、あなたにはそのように思っていただきたい。

これから読んでいただく内容の中に、もし一つでもあなたの参考になるものがあったら、こんなに嬉しいことはありません。

では、早速次回から小学校〜大学までの振り返りと私の回想も含めて紹介していきますね。

お付き合いのほどよろしくお願いいたします。

 

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