この記事は【母】が書いています
ケア型家庭教師という独自の立ち位置を思いついたカテキョー君。
ここで考えてみたいのが、
もしカテキョー君がただ不登校の子供に勉強を教えるという役割だけに徹していたらどうだったろうか?
ということです。
もしかしたら、それではごく普通の家庭教師で終わっていたかもしれない・・・んですよね。
- 息子はカテキョー君と出会って変わっていった
- カテキョー君も息子と接することで、新たな学びを得て行った
ネガティブに捉えられがちな「不登校」から二人の関係性は始まっています。
これはどんな見方、捉え方をするかで大きく変わるということだと思うんですよね。
では、不登校の子供に対して、
- どんな向き合い方をすればいいのか?
- 自分がどんな役割意識を持って不登校のお子さんと関われば、自分も成長できるのだろうか?
カテキョー君の息子に対する見方、接し方にヒントがありそうです。
この記事では、その点について追求してみたいと思います。
不登校の息子に対してカテキョー君がしていたこと
カテキョー君は教科書に関わる疑問だけではなく、息子のふと思いついたツッコミのような疑問やその他の些細な疑問にも真剣に向き合っていました。
この点がカテキョー君の特徴的な部分で、普通の家庭教師ならそこまでしないのかもしれません。
教科書に関わることであれ、全く関係のないことであれ、
一人の少年の疑問に真剣に向き合う
これが大事なんだろうなと思います。
私などが言ってしまいがちなのが
「そういうもんでしょ?」
「そんなこと考えなくてもいいよ」
ということ。
(つまりは、「また面倒臭いことを言い出した・・・💦」と思ってしまうということですね)
こうした私の行動は反面教師にしてください。
ここがカテキョー君と私との大きな違いです。
一つでもいいからお子さんの疑問に真剣に向き合って、一緒に答えを考えることをする。
こういうことが不登校の子供にとっては、きっと大きな意味を持つのだろうと私は思っています。
「不登校」のイメージは決して良いものではないのに、カテキョー君は気にしない(笑)
私が思うに「不登校」のイメージは、重~くネガティブ要素が濃いです。
相手が心の中で思っている偏見や哀れみ、変に気を遣っているのも強く感じます。
これは人間ですからね、誰にでもありますよね。
私たち不登校親子を傷つけないように・・・という人もいるだろうし、
悪影響を受けたくない・・・と思う人もいるだろうし、
その点は、今の私はどうでもよくなり全く気にならなくなりました。
でも、その一方で私は、不登校であることを知りつつも一切関係なく接してくる方には大いに興味を持ってしまうのです。
「え?不登校なのに何で?」と。
そう、かつての私は不登校に偏見を持っていたということですよね。
そんな私の間違いを改めるために不登校があったわけで、このことはこれまでも何度も書いてきていると思います。
でも、私は息子が不登校だったから気づけたけど、カテキョー君はなぜ偏見がない???
私にとってはものすごく不思議でした。
ここでちょっと振り返ってみます。
カテキョー君は家庭教師として我が家にやってきました。
おそらく、カテキョー君自身も勉強を教えるつもりできたはずです。
カンセリンドクターから息子の情報はあったとしても、役割は学習のサポートだと思っていたと思うんですね。
ですが、息子はそんな簡単な存在ではなくてですね(笑)、勉強よりも前に、
- なんで学校に行かないといけないのとか、
- なんで勉強しないといけないのとか、
- なんでテストでは答えは一つだけで他は間違いなんだとか、
学校に対する疑問を投げかけることをしていたようです。
私を含め、息子の疑問に答えてくれる大人は周りにいなくて、息子はずっとモヤモヤしていたんでしょうね。
カテキョー君はこの息子の疑問を受け止めました。
そして、息子が納得できるように一緒に考えてくれました。
そして、ここがカテキョー君の素晴らしいところで、自分が持っていなかった視点に触れることだったり、その疑問を自分も知ることで自分の知識が増える喜びだったり、そういうところがあるように私には見えました。
いつから教科書的な勉強が始まったかは私は全くわからないのですが、息子の変な?でも本質的な?問いを深めることで二人の距離が縮まり関係性が築かれていったように思います。
いきなり「勉強」ではないことがポイント。
「関係性」を作るのが先なんですね。
勝手にカテキョー君の知的好奇心を推測する(笑)
カテキョー君は知的欲求が高い青年です。
息子のそんなヘンテコな質問に、
- 自分の知らないことを知ることができる
- 息子を通して新しい世界を見ることができる
つまり、息子の独特の感性に触れることで、より知的好奇心が高まったのでは・・・というのが私の推測です。
では、カテキョー君の知的好奇心とはどのようなものだったのでしょう?
ここは私の勝手な推測です。
(この記事全部が推測かも?ですけど)
わかりやすく以下の3つにして分類してみました。
- 喜びの質
- 共に成長できる
- 新しい発見がある
喜びの質
家庭教師としてお子さんと関わって、そのお子さんの成績が上がって、そして志望校に受かってというのは、家庭教師としては本当に嬉しく、大きな喜びになると私も思っています。
でも、家庭教師は勉強を通して関わっているだけで、その関係性は教師と生徒に限られることも多いような気もします。
ケア型家庭教師のカテキョー君は、勉強だけではなく、息子の人生にどっぷりと浸かることをしたんですよね。
途中、道に迷ったこともあった、落とし穴にハマることもあった。
完全に運命共同体。
カテキョー君もかつては塾で教えていたこともあるので、教え子さんの合格の喜びは経験していたと思います。
でも不登校である息子から感じる喜びは、全く異なるものだったのではないかと私は想像しているのです。
それは、息子を成長へと導く喜びだったり、カテキョー君自身が知らない世界を見れたという喜びだったり、ですね。
新たな喜び・・・、そんなものがあったのではないでしょうか?
共に成長できる
以前の記事でも書きましたが、息子の疑問は人の頭の枠の外にあるところから飛んでくることが多いです。
- 1+1=2 なのはなぜか?
- なぜ、将軍や天皇の名前を覚える必要があるのか?
普通であれば、面倒くさいやつで敬遠されますよね(笑)
カテキョー君は、その疑問の出どころに興味を持ったのではないかと思います。
- なんでこの子はそういう疑問を持つのだろう?
- 誰もがスルーするようなことになぜ気が向くのだろう?
- 今まで考えたことはなかったけど、実際なぜなんだろう?
こんな感じでしょうか?
即答できない質問は持ち帰って調べて、後日それを息子に説明する。
そのことでカテキョー君の知識の量が一つ増えるわけです。
息子の
- 本質を突くような視点
- 学校教育にケンカを売るような視点
- 教科書の中身を疑うような視点
学校教育に慣れ親しんできた人にとっては、かなり衝撃的です。
でも、新たな視点に触れることでカテキョー君自身も世界が広がった感覚があったのではないでしょうか?
新しい発見がある
これは共に成長できるとも多少被りますが、
息子の宇宙人的な視点は、地球人である我々に
「そんな見方、考え方があるのか」
と思わせるのです。
息子は、そんな宇宙人的視点がたくさんある。
学校教育に慣れている同士だとそのセンサーは働かないんですよね。
息子と話をすることで、今までは上下でしか見えていなかったものが、左右から見れた!
みたいな感覚でしょうか?
知的探究心が強いカテキョー君にはそれが「快のスイッチ」となったのかもしれません。
まとめ
勝手に想像、推測して書いてみましたが、伝えたいことはシンプルです。
人を自分の偏見や思い込みで見ないということです。
そうすることで、
- 今まで自分には見えていなかったものが見えることもある
- 素晴らしい関係性を築けるご縁のある方になることもある
ということ。
不登校とか、学歴とか、資格とか、その方を表すラベルはいろいろありますが、そのラベルを抜きにして、その目の前の方と向き合うことこそが大切なことではないでしょうか?
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