不登校の息子が見ていた自分の将来と私が見ていた将来との決定的な違い

不登校 母親として思うこと

 

母

この記事は【母】が書いています

不登校だから、他の子に遅れを取らないように家で勉強して欲しい。

親であれば、このように考えることがあるのではないでしょうか?

私も他の子たちと方を並べることができるようにと思っていたことがありました。

それが息子のため、とも思っていたんですよね。

でも、実際にはいろんな見方や考え方や視点があります。

つい最近、私は息子の言葉にハッとさせられるということがありました。

そして、私の中に新たな視点が加わりました。

今回は、息子が発したその言葉について、考えを深めていきたいと思います。

 

不登校の息子が家で勉強することで思っていたこと

私が考えを改めさせられた息子が言葉とは、どのようなものだったのか?

それを先に紹介します。

それは、他の子供たちに遅れを取らないように家で勉強することに関することです。

息子が発した言葉はこうです。

 

「自分は学校に行っている子に遅れて勉強している」

「それは学校に行っている子の後を追いかけているだけ」

 

私はこの言葉に私はすごくハッとし、視点がたりてなかったなぁと思わされたんですよね。

でも、それは不登校状態ではなくなった今だから思うことであって、当時ならこの言葉を何度聞いても私は気づくことはなかったと思います。

なので、今これを読んでくださっているあなたが何も感じなくても大丈夫ですよ。

お子さんが不登校から卒業した後に、もしかしたら思い出すこともあると思うので、その時のために、です。

 

つまり、息子の言いたかったのは、

自分の不利になる状況では戦うな!

自分の土俵で戦え!

ということ。

 

学校の勉強が遅れているからといって、その遅れについていくために勉強するというより、どうせなら人と違う勉強をして人の先を行きたい!というのが息子の考えのようでした。

人がたくさんいるところで競うよりも、人の少ないところで競った方が自分にとっては有利なのではないか?ということですね。

学校にも行かず、また学校の勉強をせずに他の勉強をするということは、かなり過激なことかもしれません。

受け入れ難い方も多くいらっしゃると思います。

ただ、ここは学校行かなくてもいい、学校の勉強をしなくてもいいということを言いたいのではなく、「考え方」を捉えてほしいのです。

例えば、こんな例はいかがでしょう。

 

明らかに自分より足の速い子が、

「かけっこで勝負しようよ!」

と持ちかけてきたら、

「OK!いいよ。」

と、受けることは良い戦略でしょうか?

 

 

もしその子が脚力よりも腕力に自信があるのなら、

「かけっこではなく、腕相撲で勝負しようよ!」

と言った方が勝てる確率は高まりますよね?

 

そんな感じです。

 

個人の才能に優劣をつけることを私は好みませんが、そんな場面に遭遇した時は自分が有利になるよう方向に舵を取ることが必要になってきます。

 

たとえ遅れたとしても、みんなについていく!

という考えももちろんあっていい。

でも、その考えだけではなく、みんなと違うところで・・・という視点を持っておくのもどこかで役に立つと思います。

これはお子さんが成長して、自分の仕事を考える際に活きてくると私は考えていて、

  • みんなの後を追って行ったら、就職活動→会社に入社することになるかもしれません
  • みんなと違うところでと考えたら、自分の得意なことが仕事になるかもしれません

どちらが良い悪いはないんですよ。

一つの選択肢しか考えられないのと、他の選択肢を知っているのとでは決断する時に大きな違いが生じるということです。

少数派の選択は、多くの親は反対することが多いので、この部分の柔らかさを親が持っているかいないか?

私が伝えたいのはここなんですね。

 

不登校の子供を持つ母親の私が家での勉強について思っていたこと

では次に、不登校の子供を持つ母親代表として、私が持っていた考え方を書いてみましょう。

息子の長年の不登校生活の中で、私が抱えていた大きな不安は、

「将来ちゃんとやっていけるのか?」

ということでした。

 

学校に行かないことは100歩譲ってもいい。

ただ、基礎的な学力は身につけておく必要があるのではないか?

その基礎部分がないとスタート地点にも立てないのではないか?

私はこのような強い思い込みに縛られていたのです。

だから、カウンセリングも受けたし、家庭教師もお願いしていました。

学校に行かなくてもいいから、その分は家で補おうね、と。

追いかけるという以外の視点が持てていなかったですね💦

息子はたまたまそこから大学進学の道を選ぶことになり、遅れて勉強したことで役に立ったことになるのですが、今思えば、学校に行ってないのだから勉強しなさい!は、ちょっと違ったなと思ってます。

 

私が教えられてきた幸福な人生というのは、

大学行って、
就職して、
結婚して、
子供を育てて、
マイホームを買って、
定年まで働いて、
年金暮らして

というようなもの。

社会の風潮や周りがそうだから「そういうもの」と受け入れてしまっていましたが、これって、自分で決めているようで実は自分の意志ではないことも多いんですよね。

外からの影響力で、あたかも自分の意志であるかのように自分で思わされていた、というのが本当のところだと思います。

私は息子の不登校に付き合う中で、こうした刷り込みに徐々に徐々に気づいていきました。

そして、今回新たに気づかされたのが先に述べた

「不登校の子供が勉強の遅れを取り戻そうとしても、それは人の後をついていってるだけ」

だったわけです。

 

人と同じがその子の幸せ???

そんなことはありません。

コロナで在宅ワークになって、ストレスが減ったという方がたくさんいます。

実際、厚生労働省では4月の自殺者の数が大幅に減り、過去5年で最少だったと発表しています。

職場環境、学校環境を辛いと思っていた人が多かったということですよね。

幸福な人生の定義が昔と今では違うということです。

人と同じであることがその子にとって良いとも言えないこともあるということを、私達は知っておく必要があります。

本当にハッとさせられましたし、考えさせられました。

 

お子さんの理想のライフスタイルを考える

私が提案したいのは、お子さんの一生の人生のストーリーを考えていただきたいということです。

一人一人の人生にはいろんな側面があります。

親としての自分もいれば子供としての自分もいる。

仕事をしている自分もいるし、音楽を楽しむ自分、スポーツを楽しむ自分、ブログを書く自分や動画を作る自分、自分というのはいろんな面から成り立っています。

あなたのお子さんも今は学生という側面しかないかもしれないけど、今後はたくさんの側面を持つようになります。

あなたが想像もできないようなことをしている可能性も大です。

今は学校のことが大きくフォーカスされていると思われますが、人生の終着地点から振り返ったら、学校は自分の経験のほんの一部でしかないかもしれないのです。

どうか人生という長期スパンで考えてみてください。

不登校=将来がキツイ

と思い込んでいるかもしれませんがが、絶対そんなことはないです。

大切なのは、お子さんの幸福な人生はどんなことなのか?

それは、お子さん自身が本心と向き合って、その本心にしたがって決めていくということ。

誰かが決めた人生ではなく、自分で決めた人生を選択するということです。

学校に通っていれば、自分の本心に蓋をして、周りに流されてしまうこともあるでしょう。

でも、不登校なら、より自分と向き合うことができます。

ぜひ、そんな視点を持っていただきたいです。

 

 

自分はどう生きたら幸せなのか?

というようなことは学校では教えてくれませんよね。。。

今は、気付いた人から自ら学んで見つけていくものになっているように思います。

 

これも良い機会なので、あなたご自身の幸福とはどんなものかを考えてみてはいかがでしょうか?

あなたの思う幸福な人生は、それはあなたの本心からのものになっていますか?

誰かの言ったことや周りからこう見られたいという見栄になっていないでしょうか?

ご自身のことを考えてみることで、お子さんの豊かな人生はどのようなものか?と考える余裕が生まれるかもしれません。

 

それでは、最後までお付き合いいただきまして、ありがとうございました。

 

追記

今回このような気づきを得ることができたのには、あるご縁がありました。

それは「パステル総研」様より不登校のインタビューの依頼を受けたことです。

今回のことは息子が質問に答える中で私が気づいたもので、このご縁がなければいまだに気づくことはなかったですね。

このような機会をいただけたことに感謝しております。

 

 

そのインタビュー記事がこちらになります。

【期間限定無料公開】一歩先行く不登校から大学受験を目指す戦術!元不登校の現役大学生にお話を聞きましたー前編―

【期間限定無料公開】不登校の先にあるもの。それは不登校経験が将来に生きる新しい考え方!ー後編―

興味がありましたら、ぜひ読んでみて下さいね。

 

コメント

タイトルとURLをコピーしました