この記事は【母】が書いております
「学校って何でしょうね?」
「教育って何でしょうね?」
息子が大学に入ってからというもの、この疑問はとても深くなり、私は【教育】という言葉に違和感を覚えるようになりました。
はっきり言いますよ。
私は教育という言葉が嫌いになっております(笑)
また、こうも言うことができますね
【教育】という私の定義が間違っていた。
だから今、捉え直す必要があると。
小学校から高校までの授業スタイルと大学の授業スタイルは、全く異なります。
これは日本も世界を見渡しても同じでしょう。
息子の学習に向き合う姿勢が今までとまるっきり違ってしまったので、今こうして「教育ってなんなんだろう?」という疑問が沸き上がっているのかもしれません。
子供が不登校でなかったら、今さら、学校のことも、教育のことも、ここまで考えることもなかったでしょうからね。
今の私は【教育】よりも【育成】という言葉の方がしっくり来るんですよね。
【教育】と【育成】に関する私の考えをこの記事で書いてみようと思います。
不登校は家庭の問題?親の教育の問題?
不登校に対する周囲の目は、もしかしたら数年前と現在とでは少し状況が異なっているのもしれませんが、私が当時よく言われたのは、
「お前が甘やかすからだ!お前の教育が悪い!」
というようなことでした。
これは多かったですね・・・。
イラッとしたり、悲しくなったり、一方的に責められて、自分はいない方がいいのか?と思ったこともしばしばでした。
でも、果たして、不登校は母親の教育のせいなのでしょうか?
不登校に関わる方に真っ先にお伝えしたいことは、
「〇〇が悪い」
という誰かのせいにするというのはやめた方がいいですね、ということ。
これはお願いしたいくらいです。
不登校になるとみんながパニック状態になるので、責任のなすりつけ合いが起こってしまう事が多いと思います。
気持ちはわかります。
人間は安全を求める欲求がありますから、他者のせいにできれば自分の安全は守れますもんね。
ただ、誰が悪いという目でみてしまうと悪いところだけが目に入ってしまい、負のループにしかなりません。
「お前のそういうところがダメだからこうなるんだろ!」
「そんなことを言うけど、あんたは何も手伝ってくれないじゃない?!やってもいないで偉そうに言わないで!」
上記は我が家の例ですけど、夫婦喧嘩の勃発です(笑)
↑
子どもが見ているから良くないと思いつつも、感情が上回ってこんな事をしてしまうのです(>_<)
こういうときこそ本当は、
「できない理由を100あげるよりも、解決策を一つでも考えよ」
です。
誰かをを責めるくらいなら、解決策を一つ考えた方が良い!
というか、
「私のせいかもしれないし、あなたのせいかもしれない」
「子どものせいかもしれない」
のです。
こっちの方が自然だと思います。
ですから、あなたが周りから責められているのなら、耳をピタッと閉じて、
「私は解決法を一つでも考え出す」
ということに集中し、同じレベルで言い合わないようにすることが一番です。
腹は立つかもしれませんが、良い結果にはつながらないことは理解できるかと思います。
同じ教育を受けて伸びる子と伸びない子は何が違うのか?
これは子育てと同じかなあと私は考えています。
同じように育てたつもりでも、上の子と下の子は同じには育ちません。
2人以上のお子さんをお持ちの方は、よくお分かりですよね?
学校の教育も同じではないでしょうか?
伸びる子というのは、ある教育がスイッチになることもある。
先生との相性がバッチリでスイッチが入ることもある。
タイミング的にその子の才能が開花して伸びたのがその時!ということだと思うのです。
どんなスイッチに反応するかはその子によって異なるので、みんな同じようにはいきませんよね。
ある程度の教育まではみんなを同じレベルにすること(読み書きとか)は可能だと思いますが、子どもが成長するにつれてばらつきが出てくるのは自然なことです。
ですから、教育で全ての人を均一化しようというのは難しいし、「上から目線」的で強引、傲慢にさえ思えてきたんですよね。
必要とされることを教えることは大切ですが、全ての子を「こうであれ!!」とするのはなんか違う。
「必要なことを教えた上で、その子はどの方向に伸びるのか?」
の方が重要。
その伸びる方向を見つけるまでが学校教育のできることで、あとはその子の芽が出始めた分野で育ててていくのが理想なのかなと感じています。
親でも教師でも同じですが【教育】という意味で誰かに接するなら、
- ルール通りに育て上げようとしないこと
- その子がどの方向に伸びたいのか観る目を持つことが大切
なのではないかと私は思うようになったのです。
押さえつけなければ、人は伸びたい方向に伸びていくと思うので(笑)
【私の結論】教育という言葉より育成がしっくりくる
結局、書きながら思ったことは【教育】と【育成】を分ければいいのではないか?
ということですね。
今の私だったら、学校は必要なことを一通り教えてくれるところと捉えて、成績の良し悪しは、その子の得意分野、苦手分野を把握するのに利用します。
不登校だと成績の良し悪しがわからないのでは?とお思いになるかもしれませんが、得手不得手は親ならある程度把握可能だと思うんですよね。
11年不登校だった息子でさえも、私は、
- 得意・・・数学、国語(読解&論述)
- 苦手・・・英語、体育
をなんとなく把握できますので。
親であるあなたの感覚はきっと合っていると思うので大丈夫です。
そして、学校の教育を経た上で、
その子の得意分野を踏まえ、その子がどの方向に伸びようとしているのか?
それを周りの親や身近な方がみて、社会に出れるように背中を押してあげれば良いいんじゃないですかね。
こうして【育成】の視点を入れていくのです。
その分野に行けば、きっとそこにはその分野のすごい人もいるし、育てることができる人もいるはずです。
我が子をエスコートするような気持ちといえば伝わりますか?
子供も日々成長しているので、ちょっと突付くと、次第に舵を取りながら自分の人生の方向性を見極めていくものだなと、息子を見ていて思います。
みんなを同じように引き上げる【教育】って難しい。
不可能と言っても良いのかもしれません。
これが私の思う事です。
【教育】も必要ですが、【育成】の目を持って、その子の才能を引き出す方が大切なように感じています。
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