この記事は【母】が書いております
中学1年で奈落の底に突き落とされ、中学2年で女神とも思えるM先生と出会い、私の心も忙しかったですね。
2年次の担任だったM先生の退職が決まったことを知った時は本当にショックでした。
でもその一方で、これで学校に行くこともないのかもしれないなぁと思うところもありましたね。
私としてはM先生に挨拶することなく新年度を迎えてしまったのが心残りで・・・。
そこで、
「M先生に挨拶できないまま別れてしまったので、挨拶だけさせていただけないでしょうか?」
と学校に伝え、その後、M先生から電話をいただき話をすることができました。
その時も相変わらずのほんわかぶり♡
「進路の相談にも乗るから、いつでも電話ちょうだいね^^」
とまで言って下さって、息子が心を寄せる理由がホントわかりましたよ。
さて、次は中学3年ですね。
中学3年次の学校はどうだったのでしょうか?
正直、先生も学校内での出来事もインパクトある記憶はございません!
ただ、ここでもっとも大切な出会いを息子は果たすことになるので、それが一番印象的だった1年と言えるかもしれませんね。
それがカテキョーくんとの出会いです。
この出会いで息子の人生は大きく変わっていきます。
カテキョーくんとの出会いは詳しく別記事で紹介することにし、この記事では中学校の中であったことを紹介します。
中学3年の先生は、不登校の生徒にはどっちつかずの微妙な先生
中学1年と中学2年の担任の先生が強烈すぎたこともあり、3年次の担任の先生は本当に印象が薄いですね。
ホントごめんなさい・・・です。
1年次の先生が黒としたら、2年次は白、3年次はグレーというところでしょうか?
先生と生徒、先生と保護者も所詮は人間関係であって相性というのがあります。
一概に良い悪いは言えず、自分のとって良かったのか悪かったかはというあくまで主観的なものですよね。
決して先生を否定するものではありません。
そう、中学3年次の先生は、なんというか、自分軸がないような先生でした。
1年次の先生も2年次の先生も自分の信念を持って息子にぶつかってきていたので、それはそれでありがたかったのです。
3年次の先生はそれがなかったように思います。
なぜこのようなことを言うのかというと、以下のような出来事があったからなのです。
運動会近くになって来たある時、突然クラスの友達が放課後我が家の玄関まで来て、手紙を置いていく、ということが続きました。
突然のことで私も???ではあったのですが、
「息子のことを気にかけてくれて嬉しいな」
と内心喜んでいたのです。
ただ、三者面談の時にその真相がわかってしまいました・・・
担任の先生は、息子が2年の時に自ら運動会の見学に行った、ということを誰かからか聞いたのでしょう。
先生は、昨年は息子が運動会に行ったのは友人とのメールの交流があったから・・・と考え、「今年も友達が誘えば来るかも・・」と思ったようでした。
詳しくはこちらの記事をご覧ください。
三者面談の時に、
「友達とメールの交流があって運動会に来れたと聞いたから、生徒達にお願いしたんだけど・・・」
と話され、
「なんだ、そういうことだったのか・・」と。
正直、私はがっかり。
そして、
「(先生、それは違います・・)」
「(◯◯の気持ちを理解していないですよ・・・)」
とエネルギーが一気に下がっていくのを自ら観察をすることになりました。
今思えば、息子は先生の裏で意図していたことを見抜くというか、感じ取っていたと思えますね。
先生と最初に会話を交わした時からどうも興味がなさそうでしたし、どうでもいいや、波風立てずにやり過ごそう、というような感じを受けていましたから。
息子、恐るべし!!
中学3年は進路が絡んでくるので、本来なら1年次、2年次よりも先生との接触が多くなるのが普通でしょう。
ただし、我が家に限っては3年次が一番接触が少なかったですね。
進路の話をしても、噛み合わないというか、意識のズレが起きます。
なので、
「高校は通信制の◯◯高校にいきます。」
と自分達で決断し、手続き関連だけを学校にお願いをする形となりました。
本音としては、
早くスッキリさせて気持ちを切り替え高校のことを考えたい、
というのがあったので、親子でホッとしたことを思い出します。
不登校だから通信制高校を選んだわけではない。なぜ息子は通信制高校を選んだのか?
通信制高校というと、
「この子、何か問題があるのかな?」
と思う方がまだまだ多いですよね。
私も息子が不登校にならなかったら、間違いなくそういう目で見ていたと思います(汗)
息子が通信制高校に進学を決めたのは、カウンセリングドクターのアドバイスによるものと言っても過言ではありません。
そのアドバイスとは、
通信制高校を利用して、大学受験を有利に進めればいい
というものです。
大切なのは、どこを見るか?何を見るか?ですね。
つまり、通信制高校をどう見るか?ということです。
何か問題のある子が通うところと思っていたら、まずそうなります。
カウンセリングドクターのように、効率的に単位を取って、大学受験に専念できるとのが通信制高校の良いところだ、と言えばそうなります。
良い影響?悪い影響?なのかはわかりませんが、強烈すぎる人に出会うと自分の殻にヒビが入りますね(苦笑)
私はカウンセリングドクターの話を聞くうちに、通信制高校への偏見が全くなくなり、息子の言う「ネジがポロポロ取れていく」状態になっていきました。
もし私達親2人が、狭ーい世界観の中だけで息子の将来を考えていたら、今頃、人生に希望を失った、暗ーい息子が隣にいたかもしれません。
カウンセリングドクターに相談できたおかげで、息子は学校に相談せずとも自分の進路を決めることができたと思っております。
繰り返しになりますが、学校の先生が悪いと言っているわけではありませんよ。
誰が我が子の将来を一緒に真剣に考えてくれているのか、
子供は誰の意見なら聞き入れるのか、
を見極めることが必要だと言いたいのです。
要するに、人と人、心と心の信頼関係です。
今は不思議に思うことなのですが、進路相談って、3年の担任の先生と話して決めることがほとんどではなかったでしょうか?
昭和を生きてきた私達は、そういうものと思っているところがありますし、学校には従うものと思っているところもあると思います。
でも、大事なお子さんの進路のことです。
1人の先生の意見、助言だけで決める必要はないのではないでしょうか?
先生の一言で気持ちを振り回される必要もないのではないでしょうか?
教育者、指導者でもあっても、その方は大勢の中のたった1人の意見なのです。
それが、学校を通して生きる世界であり、私たちが教育されてきた世界です。
学校というのは小さな世界の一つに過ぎないと気づいている方は、どのくらいいるんでしょうね。
お子さんの進路や将来のことを考えるときは、学校という世界観だけではなく、もっと広く見ようと意識することが大切だと思います。
- 親の言葉が響くこともある
- 学校の先生の言葉が響くこともある
- 知人の言葉が響くこともあるetc
あなたのお子さんの将来のことを真剣に考えてくれている方はどなたでしょうか?
担任の先生ですか?
繰り返しますが、生徒の将来を真剣に考えて進路を考えてくれる先生が担任ならそれはとても望ましいことです。
ですが、実際には、仕事として淡々と業務をこなしている先生も見受けられます。
不登校の子供は、
「自分のことを本当に思ってアドバイスしているか?」
というのは見抜いている(感覚的に受け取っている)ようなので(苦笑)、学校の先生が単に仕事しているという態度なら、他の方に相談した方が良い方向に進むと思います。
回想〜人にどんな気持ちで向き合うかが大事ということ
この記事を書かなければ気付けなかった・・・
というの中学3年次の出来事ですね。
うまく行った方法を真似るのは王道、でも何を真似るかは考えた方がいい、ということですね。
勉強法などのノウハウ系を学ぶ時は、その方法を真似ることは鉄板と言えるかもしれません。
ただし、人間関係においては、真似るというのは決して方法、やり方の部分ではないと、私は思うようになっています。
真似るのは、どんな気持ちで接しているのかという、その方の思いの部分ですよね。
友達の交流があって運動会を見に行った。だから、今年も友達に声をかけてもらおう。
という真似方は、方法、やり方の部分ですよね。
表面的な部分を真似ても息子には届きませんでした。
言っている意味がわかります?
息子を運動会に誘おう!と思って真似るのであれば、それは先生が
どんな思いで誘ったのかという思いの部分
であり、生徒達の
「見にきて欲しい、一緒に楽しみたい」と心から思う気持ちの部分
だったのだと思います。
真似るところは、表面上の行動ではなく思いの部分です。
もっと言えば、見えるところではなく、見えないところです。
不登校の子供に対しては、ごまかしや嘘の思いは伝わらないことが多いです。
息子を見ていてそう思いました。
だから、人と接する時はホント気をつけないと、と思うようにもなりましたよ。
私達は日々人と接していますが、時には、面倒くさい、厄介、そう思いながら接することも多々あるのではないでしょうか?
私も今書きながらハッとしているんですけどね(苦笑)
それは、相手もきっと察しています(汗)
これが、今回の反省点として炙り出されました。
大切なのは、きちんと相手と向き合うこと、相手をきちんと観ることだなぁと。
これが中学3年次の先生から学んだことですね。
次回はカテキョーくんとの出会いについて紹介していきますね。
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