この記事は【母】が書いております
小学校2年から高校3年まで不登校だった息子は、2017年4月に大学生となりました。
大学受験は決して楽ではなく、本人も大変だったはず。
自分で選択した道ですからね、きっと、息子の記憶に刻み込まれる良い経験になったのではないでしょうか?
大学受験も、高校に行って大学を受験するという方法だけではなく、息子のように通信制高校に籍を置きつつ準備する方法もあるんですよね。
つまり、少数派であっても方法は存在するという点に目を向けることができたら良いのではないかと思います。
息子にとっては、学校に行って授業を受けるよりも、たとえ不利でも自分のやりたいように自分のペースでやることが合っていたということ。
多くの人が歩む道とは異なってはいましたが、その子、その子に合ったスタイルで応援する勇気も親には必要なのかもしれませんね。
結果として、その子の個性伸ばすことができますから。
さて、大学生になった息子はその後どうなっているのでしょうか?
息子の大学生活は、現在進行形でとにかく発見の連続の毎日です。
自分に合った環境に身を置き、心持ちが変わると、人とのご縁にも恵まれるのでしょうか?
現在のところ、息子は2人の敬愛する教授と出会い、勉強や生き方のアドバイスをいただくようになっています。
大学は私立なので決して安いとは言えない授業料が毎年かかりますが、2人の教授との出会いだけで私は元は十分に取れた、と思っております。
普通の親ならきちんと単位を取って卒業して、就職して、大学に行かせた甲斐があったと思うのでしょうが、完全にレールを離れてしまった私は、息子が単位を落とそうが、休もうが、もう一切気にならなくなりました。
レール上に息子の望む生き方、在り方はないことがわかりましたし、そのレールの外と言いますか、分岐したレールと言いますか、そちらに求めるものがあったのがわかりましたからね。
静かな、やる気がふつふつとみなぎる環境が見つかれば、あとは本人次第。
就職がどうこうと心配は今の私にはありません。
就職という目の前の目標よりも、
人生の目的とも言える「志」のようなものを見つけて欲しい!!
と今は思っているんですね。
そして、それには人との出会い「ご縁」をどのように捉えるかにかかっているように思えます。
そこが見えてくれば、自ずと目指す目標も見えてくるので、大学では核となる「志」を育てて欲しいなと願っているところです。
それでは、私でさえ想像できなかった息子の大学生活をこの記事で紹介していきます。
不登校だった息子に光を与えてくれたのは「ご縁」の力
2019年現在、息子は大学3年生。
入学当初は臨床心理士になることを目指して入学しました。
結論から言うと、息子の将来の目標はあっさりと変わっております(笑)
そのきっかけは、2人の教授との出会いですね。
1人の子の人生を左右するくらいの力が「ご縁」にはあるということを私は改めて教わりました。
見方によっては、進路の変更をすることは一貫性がないことのように見えるかもしれません。
「コロコロ変わって、あなたのしたいことは一体何なの?」
とね。
でも、果たしてそうでしょうか?
「これは違う」
「しっくり来ない」
という感覚が自分にあったとしても、周りからもっともなことを言われると「そっかー」となってしまう。
せっかく自分の感覚が教えてくれたのに、その感覚を抑えて、思考や論理で自分を納得させてしまったような経験ってありませんか?
感情的に判断するのとも違うので、そのあたりの判断が難しくはあるんですけどね。
ただ、自分の思いとは反対に、多くの人が安定と思う道を進み、自ら苦しんでしまうということはよくあることだと思います。
多くの人にとっては「Yes」に見える生き方が、その人にとっては「Yes」ではないこともあって、私はその生き方を幸せな状態とは思えません。
そして、人生の転機というのは、人によってもたらされることが多いんですよね。
自分の子供がそういう方と出会えたら、それは嬉しいことです。
出会いによってどんな生き方をしていきたいのが明確になれば、それが自分の軸になりますから。
大事なのは、大学云々、就職云々の枝葉ではなくて、
自分がどんな生き方をしていきたいのか?
という根の部分だと思います。
ですから、学校に復学させることばかりではなく、お子さんの将来に影響を与える方との出会いももっともっと考えてみてください。
出会っているのに気付いていないこともあるかもしれません。
- 学校に行かないと勉強が遅れる
- このままだと就職できない
- 将来引きこもりになったらどうしようetc
お子さんが不登校になると、このような不安に支配されがちです。
この気持ちは私も経験したので、本当によくわかります。
まだまだ学校を重要視する風潮がどうしても強いですし、高い学歴を聞いて「すごい!」という目で見る方もいますしね。
でも、あなたが不安に思ってしまうのは、自分で勝手に学校という存在を大きくしているからとも言えるんですよね。
認めたくはないでしょうが、学歴が高い人を上、学校に行っていない人を下、にみているところはないですか?
学校に行かない現実ばかりを見てしまうと、その現実がどんどん大きくなっていきます。
これは無自覚でしがちなことなので、意識して気付くのが重要だと思います。
今、私が伝えたいことは、学校も大切だけど、ご縁も大切ということです。
そして、大事なのは、その方の肩書きではなく、その方の持つ信念や生き方に共鳴する自分の感覚ということです。
現代は色々な情報が溢れ返っていますし、その方の持つ実績や権威に目を奪われて、損得で判断してしまうこともあるでしょう。
もしそんな自分が出てきたら、そこは落ち着いて、気付いた上で判断したいですね。
息子は2人の教授に「いいな」という感覚を持ちました。
言うまでもないことですが、他の学生達が同じように感じているわけではなくて、これは息子が感じる「いいな」です。
これから息子に影響を与えてくれた2人の教授を紹介します。
苦手な語学を楽しい!に変えてくれたドイツ語のY講師
Y講師は、ドイツ語の先生です。
息子は英語が本当に苦手(>_<)
おそらく、中学生にも劣るレベルだと思います。
ただ幸いなことに、息子の進んだ学部では英語が必修ではなく、英語、ドイツ語、中国語、フランス語のどれか一つを選べば良いという形式でした。
ここで息子は悩みます・・・
- 英語を選択すれば、カテキョーくんのサポートが受けられる
- 他の外国を選択すれば、自力で単位を取らないといけない
どちらがいいか?
結論から言うと、息子はカテキョーくんのサポートつきの英語よりもドイツ語を選択しました。
というのも、Y講師のコンセプトというものが面白くて、
「英語が苦手だった人が、英語がわかるようになる講義をする」
というものだったからなんですね。
加えて、Y講師の印象もよかったようです。
講義もきっちりと正解をつけない、というY講師独自の考えがあって、
「伝わればOK!決して間違いではないよ^^」
というスタンス。
性格がひねくれている息子は、
- 正解とされる解答が本当にそうなのか?
- 間違いとされる解答に正解の要素はないか?
という普通の人が疑問を持たないところが気になってしまうところがあります。
それを先生に投げかけてしまうから、先生は困ってしまう・・・
(私も答えられない問いに何度も困りました)
でもそれは、決して悪気があるわけではなくて、息子にとっては疑問であり、興味の対象なのです。
その疑問に答えてくれて、しかも面白がってくれたのがカテキョーくんだったのですが、Y講師も息子の疑問に付き合ってくれる先生で、「その答えもあり!」と言ってくれる先生でした。
そのような先生と会ったら、息子は当然なびいていきます(笑)
どの講義よりもドイツ語が楽しい講義になり、Y講師の雑談も興味惹かれることが多かったようですね。
それと、
Y講師が「教授」ではなく「講師」でいるのもY講師の人生観の現れ。
階層を上り詰める思考がY講師にはなかったからなんだそうで、
- 自分自身が体が弱かったこと
- 自分の好きな勉強もしたいこと
ということを考えて、今の講師職がベストと思っているみたいですよ。
息子に、
「教授職、研究職が向いているかもよ。」
と提案してくれたのも実はY講師です。
息子自身、初めは「えっ?」と思ったようですが、Y講師のアドバイスを受け入れ、自分で教授職、研究職のことも調べ、考え、今ではそちらの方面に目標をシフトするようになりました。
息子も体が弱いところがあるので、自分の将来像をY講師に重ねて見たのかもしれません。
「こういう生き方もあるんだ」
と思えたんだと思います。
実際にY講師と話す中で、
「安定や世間体を気にしてサラリーマンをするより、自分が好きと思える分野でやることの方が幸せ」
「親も子供が無理して頑張る姿より、自分の好きなことで頑張る姿の方が嬉しいと思うよ」
「あくまで、僕が思うにはだけどね」
という言葉もいただいたようです。
Y先生の考え方、生き方に息子は共感できるところがたくさんあったのでしょう。
息子が大きく背中を押される言葉ですもん。。。
息子はY講師に自分の未来像を重ね、Y講師は息子に過去の自分を重ねて見ていたのか?
なんとなくですが、見えない氣の交流があったように私は想像しています。
息子に新たな視点を与えてくれたY講師には感謝の気持ちで一杯です。
お寺の住職であり教授であるS教授
S教授との出会いは、仏教学という宗教学での講義でした。
現在はS教授のゼミもとっているので、一番距離感が近い先生でもあります。
では、息子がなぜS教授に惹かれ、ゼミまで選択したのでしょうか?
仏教学の講義では仏教の話はほとんどせず(笑)、生き方に関するものがほとんどだったようですし、その子の個性はいじらず、伸ばすのがモットーと言いながら、本心は「だから自分のことも甘くみてねー」という、ある意味適当なところでしょうか(笑)
例えば、こんなことがありました。
講義を休講にする場合は、教授側は届出の手続きや補講を入れたり、それなりにやることが多く面倒みたいなんですよね。
そこで、
「講義はあることにする。ただ、誰も来なかったことにしよう!」
「これで、お互いWIN-WINだよね?」
という見事な提案をしたり(笑)
自分のお寺で合宿を計画したり(笑)
ゼミの飲み会には必ず参加したり(笑)
息子が興味を惹かれる個性の持ち主であるのは確かなようです。
でも、S教授、実は東大出身という隠れた肩書きもある方でもあるのです。
全くそんな印象を抱かせないのも魅力ですね。
そうそう、こんなこともありました。
それは、息子は一度自分の進路のことでS教授に相談に行った時のことでした。
その時に高校の話題になったらしく、
「自分は不登校で高校は通信制だったんです」
と伝えたら、S教授は
「へえ、君、面白いね〜」
と息子に興味を示してきたそうです。
それだけではなく、自分は英語が苦手で、でも大学院の受験で英語の勉強しないといけなくて・・・という悩みを打ち明けたら、
「毎週、この時間は教授室来て勉強しなさい。」
「毎週来ることで勉強が継続できるから。」
と今は個別に英語の指導も受けている状態です。
もし、息子が不登校でなかったら、その他大勢の学生と一緒で覚えてもらえることもなかったかもしれませんし、個別で英語を教えてもらえるなんて状況もなかったかもしれません。
「不登校が役に立ったね」
と今では笑い話です。
このように一般的にはネガティブに思えることも、個性として尊重して下さる方もいるのです。
周りが認めてくれることで子ども自身のセルフイメージも高まるので、一番身近にいる親、家族が子供が自信を失わないように接してあげることが、本当に重要なことと私は思っていますよ!!!
参考までに、英語の勉強に関するS教授のアドバイスを書いておきますね。
自宅でもできることです。
- まずは、中学レベルで良いからCD付きの簡単な問題集を見つける
- 最初は普通に解く
- 2回目も普通に解く
- 3回目はCDを聴きながら文章を書き起こす
- 4回目もCDを聴きながら文章を書き起こす
- そして、たった一文でもいいから毎日継続してやる
まとめると、
一冊の問題集を徹底的にやること&毎日やることを徹底すること。
これって、潜在意識を味方にするような感じですね。
- 毎日継続することでそれが歯磨きのように習慣になる
- 習慣になれば潜在意識はそれが当たり前と認識するようになる
- 実際できて当たり前になる(歯磨きはして当たり前ですよね?)
難しい問題集は脳にストレスがかかるし、1章を1日で全部やる!というきつめのノルマも継続が難しい。
簡単めのものを毎日やるのがコツなんですね。
S教授はこの勉強法で東大に合格したそうですよ。
ぜひ、お子さんの習慣化やあなた自身の習慣化に取り入れてみてください。
不登校の子には必ず花開く場所があるはず!
簡単にではありますが、息子が影響を受けた2人の先生との出会いについて書いてみました。
息子を見ていて思うのは、
学校が苦手でも大学なら合うケースがある、中学〜高校と大学は別物
ということですね。
反対に、中学〜高校は通えていたけれど、大学が通えなくなるケースもありますしね。
息子が息子らしくいれる場があるというのは親としてはやっぱり嬉しいです。
何より、息子が大学に入ってからは、主人のトゲトゲしさがなくなりましたし、主人と息子の会話も増え、家庭内が明るく穏やかになりましたから。
不登校の期間にはありえなかった光景です(汗)
ここまで書いてきて再確認させられることは、私達親子は不登校中に出会った方々に導かれて今があるということですね。
- 中学時代のM先生
- カウンセリングドクター
- カテキョーくん
- Y講師
- S教授
他にも、昔からの友人や支えてくれた方がたくさんいます。
学校に行くことより、
良い成績を取るより、
人との繋がりが大切。
これが息子の不登校の物語が私に教えてくれたことでした。
いえ、このことを私に教えてくれるためにこの物語は存在したのかもしれません。
息子の個性や才能を大切にして引き出してくれたのは、息子がご縁をいただいた方々に他なりません。
ご縁で人生そのものが変わるんですね。
繋がりをより深めていけば、生き方も変わります。
勉強する目的さえ変わっていくんですよ。
学校にいけないことは決して問題ではなかった・・・
と今の私は思っています。
不登校の物語からどんなエンディングを演出するかは、あなた次第。
一つとして同じ物語はありません。
あくまでも私はこうだったということお伝えしています。
次回は、不登校についての私なりのまとめを書いてみますね。
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