この記事は【母】が書いています
今回は大人になってから意識したい勉強法についてです。
私の備忘録的な記事です(笑)
突然ですが、今からちょっとした情景を思い浮かべていただければと思います。
あなたが何かの勉強を始めるとして、これから講座を受けるとします。
講師が教えて、あなたが受講するというよくあるスタイルですね。
あなたは果たしてどんな心構え、やり方で受けるのでしょうか?
それを、少しだけイメージして欲しいのです。
- 今日は〇〇のやり方を学ぶゾ!
- 〇〇するために〇〇を学ぶんだ!
- 同じ勉強をする仲間を作るんだ!
- これを学んで自分の仕事に生かすゾ!
などなど、おそらく受講前にはかなり前向きな目的意識があると思うんですよね。
どうでしょうか?
私は新しく学ぶことが好きですし、楽しいと感じる方です。
そのせいか、割と前向き、明るい気持ちで受けることが多いです。
ですが、実際に講座が始まると、私はあらぬ方向に向かっていることが多かった・・・ということに今年になってから気づきました。
果たして、私が間違っていたものは何だったのか?
興味があれば、読み進めてみてください。
私は勉強の仕方を間違っていたのか!?
予め最初に伝えておきますが、ここでは、「私が今から何かを学ぶとしたら」ということを前提にしています。
学校の勉強について思うことではありませんm(_ _)m
では、早速答えから入りましょう!
それは、
勉強することが目的になってしまい、学んだことに満足してしまっていた、
ということです。
具体的な行動でいうと、
板書は書き写すことに必死になりすぎていた、
です。
私はこれまで、スライド、板書等は一語一句漏らさず書き写すことをしていました。
しかも、ほとんど無意識に、自然に、まるでそうすることが当たり前のようにしていました。
周りを見ても、実際必死で書いている人が多いですね。
特に女性がその傾向が強いように感じます。
では、なぜ全部書き写そうとしてしまうんでしょうね?
改めて自分に問いを立ててみたのですが、
- 家でノートを見ながら復習をするため
- もれなく学ぼうとする「もったいない根性」潜んでいたため
が大きな理由でした。
しかし、これが間違いの一つであった、というのが私の今回の気付きです。
間違いというか、自分の可能性を狭めるやり方だった、と思えたということですね。
では、次にその理由を説明しましょう。
なぜ、必死に書き写すのがいけないのか?
ノートを取ること自体は悪くはありません。
むしろ必要なこともあります。
私が言いたいのは、
書き写すことに集中しすぎてはいけない、
ということです。
集中しすぎることで何が起こるかということがお伝えしたいことなのですが、書いている間は講師の表情や動きを見ていないという状態になります。
ひどい時は何を話しているか聴いていないということもありますね。
そして、書いている時間が長いほど、その傾向が多くなるということになりますね。
実は、、、
私にとってはこれが「落とし穴」でした。
本当に大切なのは、講師が発しているものをその場で感じること。
表情、仕草、動き、声の強弱、話すスピード・・・、全部です。
ライブで受講するなら、よりその臨場感は大切にした方がいいと思いますね。
頭を働かせるより、体で吸収することに意識を集中し、あなたの五感を信じてフル回転をさせること。
なぜかというと、講師の方が発するものには、文字以上の情報があるからなんですね。
初めて人と会うときに、誰でも「第一印象」という形で、その方の雰囲気を感じますよね?
そこに言葉はありません。
非言語でその方の情報を得るということを私たちはしています。
その感覚の応用版みたいな感じです。
書くことに夢中になりすぎると、本来ある膨大な情報を受け取れなくなってしまいます。
書いて記憶に残るかというとそうでもなく、五感を使った記憶に残るということもあるのです。
これは私が経験してわかったことでした。
ここで、これまでの勉強を振り返ってみて欲しいのですが、私たちはこれまでノートを取るといった「文字」を中心にしたものが多かったと思うんですよね。
学校では至って普通のこととしてやってきましたよね?
先生が黒板に書く
生徒はそれをノートに書き写す
私は、
ノートにまとめること=勉強すること
と思っていたところもあって、全然理解が足りないのに、「勉強した!」と思い込んでいたところもありましたよ(苦笑)
そんな私が「あれ?」と思ったのは、復習しようとノートを見返した時。
「ここにこれが書いているけど、どんな話だったっけ?」
と、まるで思い出せないのです。
自分では漏れがないように書き写し、これで完璧に復習できると思っていたのに、です。
これって、結構ショック(苦笑)
しかも、書き写したものが多いものほど、その傾向があって💦
必死に書いたのに、記憶が飛んでいるなんて・・・な状態です。
面白いことに、あまり書くことをせず、気になったところを殴り書きしたようなメモの方がその場面を思い出せたりしました。
その汚い文字やヘタクソな絵がね。
きれいに書き写すなんて、意味ないじゃん!!(笑)
つまり、この時私に起きていたことは、書くことに集中しすぎて、視覚、聴覚、触覚が閉じちゃっていたんじゃないかということ。
そう、繰り返しますが、
- 講師の表情、動きを見ていない
- 話も聴いているようで聴いていない
- その場にはいるけどその場の空気をキャッチしていない
ということを私はしていたんだなぁと感じました。
なぜ人は書き写すことに必死になってしまうのか?
どうしてかはわからないけど、「書き写さないとダメ」みたいな観念が私にはあったのですが、あなたはどうでしょうか?
これは非常にもったいないやり方です。
板書を映すことに必死になるより、講師の話に集中した方がいい。
おそらく、書き写そうとしてしまうのは、これまでの習慣ですよね。
これまで学校でずっとずっとやってきた。
だから、体が覚えているのです。
学校の場合はテストがあるから、きっちりノートを取っておくことは後に役に立ちます。
ただし、大人の勉強は実生活に活かすため、自分を向上させるため、自分の楽しみのため、などが目的となって始めていると思うので、実行できるものを1つ、2つ見つけて、実践できた方がずっと良い。
※資格試験の場合はこれまでの勉強法を最大限に活用してくださいね
そう、私の大いなる反省は、
私は丁寧に書き写すことで、満足してしまったこと、です。
それを自覚できたのが大きいですね。
今でも、スライドが出るとどうしても書き写したくなりますし、体がそのように反応することに自分でも驚きます(苦笑)
でも、実際のところ、今はほとんどがデジタル化しているので、スライドや映像は後から配布されることも多いんですよね(笑)
しっかり復習できる環境は整っているので、本当に必要なメモだけを取って、その場は視ること、聴くことに集中するというテストしても良いかもしれないです。
これまでの教育環境から、私たちは板書を写すことが習慣になっていることに気づき、自分で意識することがまずは第一歩。
慣れないことをするので、不安やらのいろんな抵抗は襲っては来ますよ。。。
ただ、これまでと違うことをすることで、自分の別な回路が開くことにもつながりますし、新しい何かが見えてくることもあるのです。
そうすれば、
- 板書を書き写す勉強法
に加えて、
- 体で吸収する勉強法
が身に付きます。
あとは、必要に応じて使い分けられるようになれば、幅は広がっていきますよね。
最後までお付き合いいただきまして、ありがとうございました!
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